実に4割以上の飲食店が売上げ減
やっぱりそうか、というのが率直な感想である。2010年4月に神奈川県で施行されたいわゆる「禁煙条例」。この問題に関しては筆者もこの間、いろいろな場で問題提起をしてきたが、
予想通り飲食店の経営にとって大きな打撃となる一方で、条例本来の目的はあまり達せられてはいないようだ。
そもそも、受動喫煙による被害を防止しようというこの条例。飲食店も「公共性の高い施設」ということで規制の対象になり、全面禁煙とするか、
神奈川県の定めるきわめてハードルの高い分煙対策をとるかの二者択一を迫られた。店舗面積100㎡以下の店は努力義務としているが、それ以上の規模の店は待ったなしの義務化。
基準に沿った分煙対策のためには多額の設備投資が必要なケースもあり、飲食業界から非難轟々となったことは記憶に新しい。
この問題に関する筆者の主張は常に一貫している。それは「民間企業の店舗運営に行政が出過ぎたマネをするな」ということだ。
タバコの問題については、条例がなくとも飲食業界はすでに自ら積極的に取り組んでいる。禁煙や分煙を実施する飲食店はこの10年ほどの間に急速に増え、
オフィス街などではランチタイムは全面禁煙という店が多くなってきている。これは、行政に指導されたからではない。お客の要望に応えた結果なのである。
行政がいちいち口を出さずとも、市場原理によって禁煙、分煙問題は自然に解決していく。お客の要望に応えられない店は淘汰されていくのだから当然なのだが、
仕事をしてもしなくても給料がもらえるお役人には、そのことがわからないらしい。
それはともかくとして、条例が施行されて2年近くになる現在、この問題は飲食業界に大きな禍根を残したと言わざるをえない。次頁に、喫煙環境を変更した飲食店の売上げ動向データを掲載しているが、
実に4割以上の店が売上げ減を余儀なくされている。環境変更には当然、投資が伴っている店もあり、金はかけたが売上げは減ったというのでは、商売としては最悪である。
規制対象の店の3割以上が条例に対応できていないというが、当然だろう。とにかくタイミングが悪い。もともと飲食業界が激烈な競争下にあるところにもってきて、東日本大震災、記録的な豪雨と続き、
景気はまさに底冷えの状況だ。
こんな時に、売上げに直接結び付かない可能性の高い投資を余儀なくされるのは、どう考えても理不尽である。利子補給などの制度はあるものの、充分な助成とは言い難い。「決めたから、後はよろしく」という、
典型的なお役所仕事なのだ。
下記では、条例を守るため苦しい中でも分煙や禁煙に踏み切った飲食店の実例を紹介している。どの店も涙ぐましい努力をされているが、それに対する行政からのバックアップは皆無。
それこそ県として表彰してもいいくらいだと思うのだが、あくまで条例なんだから守って当然、というスタンスであるらしい。
一番問題だと思うのは、行政としてきめ細かなアフターフォローがされていないということだ。フォローというのは、金銭的バックアップといったことではない。
条例施行後、飲食店でのタバコ対策がどう進んでいるのか追跡調査を行なうこと、それによって条例の効果と意義を検証し、良い面・悪い面の両方をきちんと県民に説明することだ。
飲食業界にこれだけ犠牲を強いているのだから、そんなことは当然だと思うのだが、これまた充分とはいえないのが現状だ。これでは、日本で初めての条例を施行することだけが目的の、
一種のパフォーマンスだったのかと勘ぐりたくもなる。
飲食店の自主努力を無に帰する
「県と市が連動していない」という批判の声もある。「大衆割烹居酒屋 ガクさん」では街の再開発にともない2013年に移転する予定だが、現在は市が提供してくれた仮店舗で営業している。驚くことに、
市が提供している店舗にもかかわらず、条例に基づく分煙の設備が整っていないのだ。正直、「しっかりしてくれ」と言いたくなる。この条例を本当に実効性のあるものにしようとしているのか、その本気度を疑ってしまう。
この問題が起こった時、筆者は受動喫煙防止の条例化が唯一無二の目的になっていて、そこに至るプロセスへの視点が充分ではないことが問題、と指摘した。条例の検討がはじまった当初から決まりをつくった結果、
現実にどのような問題が引き起こされるのか、それに行政としてどう対応していくのかという議論が、完全に抜け落ちていたのである。
そういう行政の姿勢は、実際に条例が施行された後、さらにはっきりしたといえよう。結局、規制することが目的だったというのでは、本当に実効性のある受動喫煙防止対策にはならないし、
そもそもそんな取組みに意味があるのか、ということにもなってしまう。飲食店にとっての理想は、タバコを吸う人、吸わない人がどちらも快適に過ごせる空間をつくることだ。難しいことだが、それに向かって進んでいかなければならないし、事実、飲食業界は誰にも指図されることなく、そのことに取り組んできた。
神奈川県のこの条例は、そうした飲食店の努力を認めないものだ。そればかりか、その努力を無に帰してしまう危険なものであると、いまあらためて感じている。
(外食ウォッチャー 氷川恭介)
以下のグラフは『外食産業マーケティング便覧2011(総括編)』のデータから抜粋したものだが、神奈川県の「受動喫煙防止条例」が外食産業に与えた影響は、メリットよりもデメリットのほうが圧倒的に大きい、 と評する向きがある。中でも不景気続きの経済状況下においては、喫煙環境の変更は設備投資という負担がのしかかるだけでなく、売上げの悪化を助長する悪玉なのではないか、という声が一部で挙がっている。
出典:富士経済刊「外食産業マーケティング便覧2011(総括編)」
調査(2011年7~8月) N=355(うち100㎡超 N=151)
郊外ロードサイド型店舗である同店は、同条例施行後、1階を完全禁煙、2階の個室のみ、未成年者の有無を確認の上で分煙にし、1階に喫煙室を新設。立地柄、 条例を知らない県外からの利用客が多く、「なぜ吸えないのか」というお客からのクレームが絶えないという。
TEL.0463-89-6020
条例施行の直前に店舗を移転オープン。施行後は1週間店舗を休業、300万円の投資で分煙の店舗に改築。禁煙席しか空いていない場合、喫煙客はカウンターでたばこを吸ってもらうことに。投資を強いられたうえ業績も低下するなど、「県からの助成もなく、大きな痛手」と両親から店を引き継いだ店長の齋藤絵梨子氏は話す。
TEL.045-505-1415
再開発にともない、市が提供した仮店舗では、県の条例に基づく分煙の設備が整っていないという同店。2013年には移転オープン予定なので、投資して設備を整えることも難しく、現在は既存の客席を区切って分煙している。「県の条例に対し、市が足並みを揃えていないのも変」と2代目代表の田中修氏は首を傾げる。
TEL.042-743-4149
条例施行後はオーナーとビル側が設備を点検、入口からの空気の流れなどを調査し、80席中36席を区切って禁煙席に。喫煙希望客はカウンターへ誘導するなど対応している。「女性客も多いため禁煙需要はある。ただ、喫煙については法律で規制せず、個々の店舗の判断に委ねるべきでは」と店長の吉田正樹氏は話す。
TEL.045-662-8240
条例前は全席喫煙可だったが、条例後は客席を区切って分煙。100㎡以下のため、厳密な投資などは不要だったが、分煙した結果客足は伸び悩み、大手の競合店の出店と相まって一時期は売上げが3割低下したことも。現在はリピーターに支えられて持ち直したが「正直、条例はなくしてほしい」と店長の加藤大輔氏は話す。
TEL.045-453-3751
条例施行後オープンにより、全席禁煙に。禁煙化には抵抗したが建物の構造上、分煙設備の工事が難しく、結局施設内の喫煙ルームの近くという条件で禁煙に踏みきる。「喫煙できないことで忘年会の予約をキャンセルされるお客さまも多い」という店長の田中氏。女性客や家族客へのアピールでお客の流出を食い止めている。
TEL.044-813-2207
条例前はランチ時のみ禁煙、夜は分煙にしていたが条例施行後全席禁煙に踏み切る。一部の個室に換気口を設置し、閉め切った状態でのみ喫煙可とし、それ以外のお客には携帯灰皿を渡しホテル1階の喫煙ルームへ誘導。施行後は接待の予約キャンセルも多く業績も低下。「県はもっときめ細かくフォローすべき」と堀越氏。
TEL.045-470-0828
「ただでさえ震災で自粛ムードの中、設備投資をしろというのは居酒屋には痛手である」と取締役の高柳隆士氏。同店は施行にあたり県のたばこ対策課の担当者を呼んで相談し、空気の流れを調べた結果、入口近くの席を区切って分煙すれば良しとされた。ただ家族客も多いため来年度は予算枠内で設備投資に踏み切る予定だ。
TEL.045-821-0999
店舗面積が100㎡以下の同店は条例では分煙の対象外であるが、自主的に個室の1室を完全禁煙、10室をお客に応じて禁煙席としている。「条例後、お客さまから『たばこを吸ってもいいですか?』と聞かれることが増えました」(小林裕之氏)。お客の6割以上が喫煙客のため、今後も同様の方法で分煙をしていくそう。
TEL.045-251-0323
浅羽哲也