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- 前回に続き、奥田シェフはお休みです。
汚れた土を元に戻せ!
震災から1年が過ぎた2012年4月20日。福島県大玉村のコメ農家の鈴木博之さん(63歳)は、二本松市の渡邊永治さん(64歳)、猪苗代町の武田利和さん(63歳) と3人で「原子力損害賠償紛争解決センター」へ、和解の仲介の申し立てを行なった。
渡邊さんも武田さんも福島県のコメ農家のリーダー的存在。自分で作ったコメを責任持って売っているところは、鈴木さんと一緒だ。前の年、鈴木さんはたった1人で東電を告訴したが、今度は1人じゃない。
左から渡邊さん、武田さん、鈴木さん。
3人が一番強く訴えたかったのは、「汚染された土を元に戻せ」という思い。どうすれば、事故前の土を取り戻せるのだろう?
環境省が推奨する除染方法は、「表土の削り取り」と「反転耕」。しかし、前者では長年培ってきた肥沃な土壌を剥ぎ取るうえに、削り取った土の置き場がない。後者は畑作用の「プラウ」という大型の鋤(すき)を使って土の天地を入れ替える方法だが、それでは放射性物質がその場に残り、作物に移行する可能性もある。そこで3人が求めたのは「客土(きゃくど)」。今ある土壌の上に新たに約15㎝の土を盛る方法だ。
反転耕といっても、田んぼの土を完全にひっくり返すわけじゃない。それよりもそこに新たに土を盛って客土を行ない、元の土と混ぜることで、土中の放射性物質が薄まる。完全に消滅させることはできないけれど、稲や作物への移行を抑えるには、最も有効な手法だと考えたのだ。
3人の耕地面積はそれぞれ9〜40ha。その除染費用を含め、合わせて35億円を請求した。当時の新聞には「福島のコメ農家、35億円賠償要求」という見出しが踊っていた。
それから1年以上が経過した今年5月、鈴木さんと武田さんを訪ね、率直に聞いてみた。
三好「3人で35億って、いくらなんでも高すぎやしませんか? 新聞読んで、すごい欲張りなオヤジに思えました」
武田「俺たちは、別に遊ぶ金がほしくて要求してるわけじゃない(苦笑)」
三好「それにしても、あまりに高額で、一般人には法外な値段に思えてしまうんです」
鈴木「ちゃんと根拠はある。イタイイタイ病の原因になったカドミウム汚染で、神通川流域の水田を、1haあたり約4670万円かけてカドミウムを除去したことがある。今回の請求金額は、これを元に算出したわけだ」
三好「だけど、今回は汚染されたエリアがムチャクチャ広いですよね。もしも、もしも、東電がこの要求を呑んだら、『我も、我も』って訴訟が起きて、とんでもない額の賠償金が必要になる。あまり現実的でないのでは?」
鈴木「そんなことは関係ない。とにかく訴訟は前例が第一。汚染された農地を企業が賠償した実績はある。その金額を元に要求したまでだ」
と言うのである。そして今回3人は、裁判とは違う、ADRという手法を選んだ。
ADR(Alternative Dispute Resolution)とは、「裁判外紛争解決手続」の略。
仲裁、調停、あっせんなど、裁判によらない紛争解決方法の総称で、裁判とは異なり、中立な立場の仲介委員(弁護士など)が間に入り、双方の事情を検討しながら、紛争の解決を目指す。2011年8月末、原発事故被害者と東電との間に起きた紛争の早期解決を目指して、文科省に「原子力損害賠償紛争解決センター」が設立された。時間とお金を要する裁判よりも、「早く・安く・簡単」な解決法として注目を集めた。3人はここを通して和解の仲介を求めた。
3人の要求を整理すると……
① 土壌汚染の回復費用
② キャビン付きのコンバインやトラクターの購入費用
③ 精米の過程で放射性物質を大気中に排出しないための集塵機の購入費用
④ 稲わら、排塵、脱穀、米ぬか、玄米などの一時保管場所の建設費用
⑤ 玄米の低温貯蔵施設の建設費用
⑥ 土や稲わら、コメの検査費用
⑦ 人間の放射能検査のために要した費用
など、多項目に渡る。
3人が一番訴えたかった①の「土を元に戻せ!」という主張に対し、東電からの回答は、一貫して「農地の除染は、国及び自治体の仕事。本件請求に応えるつもりはない」というもの。話し合いの糸口すらつかめなかった。
安全に農作業がしたい!
②~④は、震災後の稲作と収穫したコメの販売に必要な設備、農業機械の購入費を仮払いしてほしい、というもの。土の中にセシウムが存在しているため、土ぼこりが舞い上がるたびに吸い込んで内部被曝するおそれがある。そのため、外気と遮断するキャビンのついたコンバインやトラクターが必要になるが、同じ馬力のトラクターでも、キャビンのないものより「70~100万円」高い。
さらに収穫したコメを精米すると、コメよりもわらやモミ、ぬかや塵に含まれるセシウムのほうが多いことが判明した。だから集塵機も必要だ。そしてそこに集まったぬかや塵は、捨てたり燃やすことはできないので、保管場所も必要。これらは東電の事故がなければ必要なかったはず。しかし、②~④についてのセンターからの回答も、①と同様に「和解の対象から外す」というものだった。
⑤はコメが売れなくなったため、急きょ玄米の状態で保管する低温倉庫が必要になったのだ。猪苗代の武田さんは、自宅にあった牛小屋を改装して倉庫を作っていた。費用はおよそ400万円。これについては、東電がその9割支払うことに。一方、「これから建てたい」と費用を請求した鈴木さんの分は、受け入れられなかった。
三好「自力で先に建てた武田さんの分は9割OKで、これから建てようとしている鈴木さんの分はNG。これっておかしくないですか?」
武田「すでに支払ったものは出すけど、まだのものは払わない。東電の主張は一貫している」
鈴木「うちは、財務担当のかーちゃんの許可がないと、建てられないから」
武田「うちの家内は別の仕事をしていて、夫婦別会計だからかまわない」
三好「それって、単に夫婦間の力関係の違いじゃないですか?」
3人「ハハハ……(笑)」
と、気がつけば、笑い話みたいになっていた。どんなに理不尽な回答が出されても、笑い飛ばすぐらいの気概がないと、やっていられないのだ。
なぜ人まで計るのか?
⑥の検査費用は、鈴木さんが2011年産と2012年産のコメや土やわらを測定しまくった時に発生したもの。これについては、東電から支払われることになった。
そして⑦。鈴木さんと二本松市の渡邊さんは、自分自身の放射線量を計るため、長崎県の大学病院まで赴き、ホールボディカウンターで内部被曝量を計っている。
私が「なぜ人まで計るんですか?」とたずねると、
「私らは実際に田んぼのそばに住んで、自分のコメを食べているから。自分の身体を調べてデータとして提供すれば、お客さんにわかってもらえるんじゃないか。販売促進の一環として計った」
と鈴木さん。実際に福島県で行なわれているホールボディカウンターによる検査は、検出限界値が1ボディ当たり300Bq。より精度の高い研究機関を探していたら、長崎大学の「永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター」へたどり着いたのだ。ここでは1ボディ当たり、検出限界20~30Bqまで計れる。2人が比較のため2012年、13年と計った結果、
鈴木さん 2012年3月1日161.8Bq → 2013年3月14日72.6Bq
渡邊さん 2012年1月30日558Bq → 2013年3月12日341Bq
原子炉建屋が爆発した時に大玉村にいた鈴木さんより、二本松の渡邊さんの方が、内部被曝量が高い。原発からの距離はどちらも約60kmなのに、これだけ2人の値が違うのは、風により放射性物質が北西方向へ流されたためと考えられる。月日が経つにつれ、徐々に減っているけれど、長崎で計測をした担当者によれば、「普通に生活していたら、こんな数値が出ることはない」そうだ。生産者自身も被曝し、危険に晒されながらコメを作り続けている現実がある。
ADRの口頭審理は、結局12年4月から1年間で7回行なわれた。通常3回程度で終わるADRでは異例の多さだ。3人はそのたびに上京して審理に臨んだが、交渉が成立したのはごく一部。「土を元に戻せ!」という第一の請求は、話し合いの糸口すら見いだせない。「早い・安い・簡単」がADRの取り柄のはずなのに、1年がかりでこの結果。3人には徒労感だけが残った。
1969年山形県鶴岡市生まれ。2000年「アル・ケッチァーノ」を開業。地元で栽培される食材の持ち味を引き出す独自のスタイルで人気を博す。「食の都庄内」親善大使、スローフード協会国際本部主催「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出される。07年「イル・ケッチァーノ」、09年銀座に「ヤマガタ サンダンデロ」をオープン。東日本大震災の直後から被災地へ赴き、何度も炊き出しを実施。今も継続して支援に取り組む。12年東京スカイツリーにレストラン「ラ・ソラシド」をオープン。スイスダボス会議において「Japan Night 2012」料理監修を務める。「東北から日本を元気に」すべく、奔走中。
http://www.alchecciano.com
1965年宮城県生まれ。食材の世界を中心に、全国を旅するかーちゃんライター。16年前、農家レストランで修業中の奥田氏にばったり邂逅。以来、ことあるごとに食材と人、気候風土の関係性について教示を受ける。震災後は、東北の食材と生産者を訪ね歩いて執筆活動中。「農耕と園藝」(誠文堂新光社)で、被災地農家の奮闘ぶりをルポ。東北の農家や漁師の「いま」を、「ゆたんぽだぬきのブログ」で配信中。
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