豊富な水がセリを育む
そんな試食会も終わる頃、
「セリ田に入ってみますか?」
との三浦さんの誘いに、
「おう! ぜひ」
と奥田さん。単に「入る」といっても、腰までつかるセリ田では、長靴ぐらいでは用が足りない。漁師が使うような、がっちり胸まで丈のあるゴム長靴が用意されていた。
「寒いから、これかぶっていきなさい」
と、お母さんが毛糸の帽子を用意していてくれた。あったかそうな茶色の帽子を頭に乗せ、肘まで丈のある長いゴム手袋を装着して、2人はセリ田へと向かった。地上は小雪の舞う寒さ。けれど、
奥田「入ってしまうと、中の方があったかい」
三浦「そうなんです」
地下水の温度は年間通して15℃前後と安定しているので、真冬に中へ入ると、意外に水の中の方があたたかかったりする。両手でセリの根元をわしづかみにして引き抜き、水面で根っこをシャカシャカ揺らして水洗い。その作業を繰り返す。抜いてシャカ、シャカ……
「よしよし、だんだん覚えてきた」
と奥田シェフは、コツをつかんだ様子。大きな三浦さんと、小柄なシェフ。どっちが兄かわからぬ「セリ田の兄弟」が、2人でセリを採り続ける。
田んぼの中に、ポンプで汲み上げた地下水がこんこんと湧き出ている。それを見つけたシェフは、やおらかがんでその水を口に含み……
「んー……23〜24かな」
自称“生きた硬度計”が、水の硬度を計っているのだ。鶴岡の「アル・ケッチァーノ」の前から湧き出る「イイデバの泉」(地元の人が「分けてほしい」といったとき「お金なんていいでば」といったのが名前の由来)は、83で中硬水に近い軟水。それに対し、セリ田から湧き出る伏流水は、まろやかな軟水のようだ。
こんこんと湧き出る水は、尽きることを知らない。ここから5キロ先に津波が来たなんて、信じられない。しかし、ここから流れ出た水のその下流に閖上地区がある。セリ農家には米との兼業が多いが、震災から1年過ぎた2012年、下余田地区の農家は、「今年の米作りは休もう」と決めた。
「遺体の捜索が最優先。ここで田んぼを作ると、水が下流に流れて探せない。だからお米は止めよう。セリを作る時も、なるべく排水を減らして、流さないようにしよう。そんな申し送りがありました」
下余田と閖上は、水路でつながっている。決して他人事ではないのだ。
手の届く範囲で、じわじわと
現在三浦さんのセリの栽培面積は30a。足しげく集う仙台の「いな穂」のセリ鍋ファンを皮切りに、
「仙台在住のフードライターやブロガー、仕事帰りの男性にずいぶん支えていただきました。東京からの日帰り出張には必ず食べに来る、知り合いを連れてきて喜ばれたと、お声がけいただいたことも何度もあります」
さらに仙台市内の自然食品店、定期的に開かれる朝市など、販売先を増やしてきた。徐々に「もっとほしい」「大量にほしい」との声も聞こえてくる。
「田んぼも人も増やして、たとえば私の似顔絵マークをつけて、生産ラインを作れば規模拡大は可能だと思います。だけど規模が大きくなると、スピードを求められて、セリの生長が追いつかなくなり歪みが出てしまう。それよりも責任を持てる範囲でじわじわ守っていくほうがいい。30a。それでいいんですよ、ずーっと。おいしいセリが食べたくなったら、仙台に来て、仙台資本のお店で食べてください」と、三浦さんは話している。
天敵が最高の相方に
さて、奥田シェフならそんな三浦さんのセリを、どう料理するのだろう?
奥田「鴨肉と合わせたい」
三好「ええーっ! 鴨はセリの天敵じゃないですか」
三浦「『鬼平犯科帳』に出てくる、“鴨芹”ですね」
そういえば、新撰組に「芹沢鴨」ってヘンな名前の隊員がいたな。天敵関係にあるこの二者は、料理にすると相性がよいことを、先人たちはずっと前から知っていたようだ。
その夜、仙台市内の某料理店の厨房をお借りして、「天敵対決料理」が始まった。
奥田シェフはまず、鴨のもも肉の皮目を下にしてフライパンでじっくり熱する。するとどんどん脂が出てくる。そこへにんにくを投じて香りを出し、セリの根っこだけをつけ、油通し。茎と葉は生のままだ。
表面全体を焼いた鴨肉に香辛料をまぶし、アルミ箔で包み込んだら、再びフライパンで焼くこと1分。カットすると鮮やかな赤身が現れる。これをスライスして、油通しした根と、生の葉と茎を山のように盛り付ける。
三好「シェフ、料理名は?」
奥田「セリの仕返し」
三好「なるほど。逃げられないセリは、ずっとやられっぱなしだったですものね」
奥田「そして鴨の恩返し」
三好「はあ。セリ田を荒らしてごめんなさいって、セリと三浦さんに謝ってるわけですね」
こうしてできあがった料理に使っているのは、鴨とセリ。そしてにんにくとスパイス、塩が少々。冬の間がっちりためた脂肪がからむと、セリの味わいと食感が、格段に引き立つ。いつもは天敵同士。だけどお皿の上では互いの持ち味を引き出す、最高の相方になる。
三浦さんは、奥田さんが料理する背中をずっと見つめていた。そして、「仕返しと恩返し」が同居する一皿味わうと、まんまるの笑顔で、
「今夜だけは、世界中のセリ屋の中で、僕が一番しあわせです」
◎今回訪ねた先は…
1979年生まれ。宮城県名取市下余田地区でセリ、ミョウガタケなどの伝統野菜を栽培し、豊かな地域資源と寄り添う持続可能な農業を目指す。環境保全や有機農業、食育NPOの事業運営にも積極的に参画。地元小学校の総合学習の田んぼのがっこうで古代米も栽培。オープンファーム「なとり農と自然のがっこう」も開催している。
http://plaza.rakuten.co.jp/shimoyoden/
1969年山形県鶴岡市生まれ。2000年「アル・ケッチァーノ」を開業。地元で栽培される食材の持ち味を引き出す独自のスタイルで人気を博す。「食の都庄内」親善大使、スローフード協会国際本部主催「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出される。07年「イル・ケッチァーノ」、09年銀座に「ヤマガタ サンダンデロ」をオープン。東日本大震災の直後から被災地へ赴き、何度も炊き出しを実施。今も継続して支援に取り組む。12年東京スカイツリーにレストラン「ラ・ソラシド」をオープン。スイスダボス会議において「Japan Night 2012」料理監修を務める。「東北から日本を元気に」すべく、奔走中。
http://www.alchecciano.com
1965年宮城県生まれ。食材の世界を中心に、全国を旅するかーちゃんライター。16年前、農家レストランで修業中の奥田氏にばったり邂逅。以来、ことあるごとに食材と人、気候風土の関係性について教示を受ける。震災後は、東北の食材と生産者を訪ね歩いて執筆活動中。「農耕と園藝」(誠文堂新光社)で、被災地農家の奮闘ぶりをルポ。東北の農家や漁師の「いま」を、「ゆたんぽだぬきのブログ」で配信中。
http://mkayanooo.cocolog-nifty.com/blog