料理の出来は材料が八、調理が二
市場で新鮮な食材を見て歩くと、献立が自然に組み立てられます
朝六時、野崎洋光氏は川崎の自宅を出て西麻布の店(現在は南麻布に移転)に寄り、すぐにバイクで出かける。築地へであることはおよそ察しがつこう。場内に着くと、まず初めに野球場ほどの大きさの鮮魚の棟を、びっしりと並んだ店の間を縫うようにして、端から端までぐるっとひとまわり。その間に馴染みの店でその日の入荷状況を聞き、気に入った魚があれば買い求める。いったん端まで行き、買い残した物があれば、もう一度逆まわり。しかし、それほど時間はかけない。魚が終われば、次に野菜・果物の棟を巡り、さらに場外の珍味屋に顔を出すからである。それが終わって一息ついてから、店に向かう。
「以前は毎朝出向いていました。しかし、最近は週に一度か三度くらいの頻度にしています。仕入れだけなら下の者に任せられるようになったからです。それなら、なにもわざわざ朝早くから行くことはないじゃないか、と思われるかもしれません。ところが、この築地巡りが私にとっては欠かせないものなのです。というのは、献立を考える最適の場所だからです」
築地に出向けば、国内はもちろんのこと海外からも入ってくる、ありとあらゆる食材を目にすることができる。旬もわかれば、相場もわかる。どのような食材に人気が集まっているのか、新たに入るようになった食材は何か、といった流れも一目瞭然である。
野崎氏はそういった食材の情報を嗅ぎとり、計算して献立を組み立てている。
「築地の店をスーと目で追っていきながら、頭の中でこの筋子は醤油漬けにして前菜にとか、クルマエビを焼きものに使う予定だったけれど、子をもったアマエビがあったから、これを造りにしたいから、焼きものはマナガツオにしよう……というように、献立を組み立て直す。こうしてあれやこれや考えていくのが、楽しみなのです」
自分自身がそうされれば嬉しいことをやっているだけ
野崎氏が「八芳園」(東京・白金台)を辞めて、カウンター席でフグを提供する「とく山」に料理長として入ったのは昭和五五年である。当然のことながら、フグの季節は冬場に限られ、それ以外の時季は普通の料理を提供していた。その部分を強めたいという意向がオーナーにあっての野崎氏の移籍だった。
八芳園、その前の東京グランドホテルでの修業時代には大人数の料理を作ることが多く、師と仰ぐ料理長に恵まれたこともあり、料理の基本を習うには適していた。しかし、自分の気に入った食材を使って自由に調理し、料理を仕立てるには舞台が大きすぎた。規模は小さくてもいいから自分の目の行き届く店で、おもいっきり自分の料理を出してみたいと思い始めていたころだったという。
とく山に移ってからは普通の料理はもちろんのこと、フグの料理にも八芳園時代に培った調理方法を駆使してお客の舌を楽しませ、顧客として定着させた。
そこで、とく山から二〇〇mほどの距離に分店「分とく山」を出すことになった。野崎氏が店をあずかってちょうど一〇年目のことである。規模はとく山と同様、三〇席弱と小さい。こちらではフグ料理を一看板に謳わずに、野崎の持ち味を充分に発揮できる店にした。
「料理の出来は材料が八、調理が二ぐらいだと思います。材料の八には、質もありますが、どのような種類を揃え、かつ組み合わせたか、なども含めてのことです」
日本料理の食材でなくても使えそうならば、どのような食材でも調理を試みる。また、調理法も日本料理にこだわらない柔軟性をもつ。
さて、入居したのはビルの三階で、けっして料理店を営業するにはよい物件とはいえない。しかし、店内を入って左手に位置するくの字のカウンターは檜の一枚板を使い、一〇席の椅子をゆったりと配置している。狭さを感じさせない空間である。そのカウンターの内側に立ってお客の応対につとめるのは、野崎氏ただ一人。客席側にも接客係はいない。小さな店内で余分に人が動けば、よけいに手狭に見えてしまう。たとえ忙しくとも、それをお客に感じさせない配慮である。
「狭いながらも落ち着いた雰囲気で、お酒と一緒に料理を味わっていただくというのが、分とく山のコンセプト。ですから、献立も前半は酒肴を意識して、少量をいろいろと味わえるようにしています。そのあとは会話を交えながら、お客さまの箸の進め具合を測りつつ、量や味付けを加減していきます」
それができるのも、一人でお客のすべてをチェックできる一〇席のカウンターだからである。そしてお客が食事を終えて店から出る際には、必ず出口のエレベーターまで見送る。それを見届けるやいなや階段をかけ降りて、お客がエレベーターで降りるよりも早くビルの外で待ち、再度見送る野崎氏である。
「そこまでしなくともいいよ、とよく言われます。しかし、自分自身がそうされれば嬉しい、悪い気はしないと思うことをやっているだけのこと。料理作りも同じで、いかに自分の気持ちを込めるかだと思います」