料理は人の組織で決まる
目標を明確に定めよ
10代――人間形成。20代――技術を身につけるためにがむしゃらになるとき。30代――自分の技術を社会のために生かすとき。40、50代――それまでに作った基盤の上で生きていく。60代以上――ゆとりのとき。
私は人生の設計をこのように考えている。
私が10代、20代のときは、楽をしたいと考えたことがなかった。
常に、いい仕事のできる店、いい上司がいる店だけを選んで仕事をしていた。仕事しか頭になかったし、社会的な意味での人間性を磨くことだけ考えていた。
良い待遇であるとか、高い給料であるとか、そんなことを目標にして仕事をしていたわけではなくて「技術を学びに来ている」としか考えていなかった。
また技術のみならず、いい人に師事することで自分自身も大きくなるプロセスを経たと思っている。何事でも「極めた人」は素晴しい。そしてよりよい人間性を備えた人しか、「極める」ことはできない。そんな師を得られることは幸せなことだ。
だから若い人たちには、自分の目標がどこにあるのか、それを明確にするよう言いたい。自分が目ざすのが大きい山なのか、あるいは小さい山なのか。それによって持つべきポリシーも精神力も違うからだ。
いい店にできるかはいい人材をかかえられるかということ
私の店では新人を採用する場合はまず1週間、調理場で働かせてその様子を見てから面接して、それから採用するか否かを決めている。どんな人間が不採用になるか――、それは自分に甘い人間だ。
それから、基本的には料理の経験のある人間は採用しない。生半可な経験があると、今までの自分の経験がスタンダードだと思い込んでいてシェ・イノの仕事に体がついてこないからだ。だからむしろ白紙の人間を、シェ・イノのパターンに入れるようにしている。
この仕事は人の組織にかかっている。つまり、いい店にできるかどうかは、いい人材をどれだけかかえられるかということなのだ。
とくに私のように料理長兼店主ということになれば、その重みは人が想像するよりはるかに重い。非常に客に気を使う商売であるからだ。だが、私にはもう10年以上もいっしょに仕事を続けてきた2番手がいるので、とても助かっている。わぎわぎ口に出して言わなくとも私のポリシーはすべてわかっているから、実際、私が直接、店の若い人間たちに指示を与えるということは必要ないくらいにうまく回転している。
ところで私のポリシーとは何か。そのひとつは「フランス料理の見識をくずさない」ということだ。たとえば、あのロビュションが料理にショウユを使っている。なるほど、きっとショウユを使えば旨いだろう。しかし、それはフランス人がフランスでやるならよいのだ。日本人である自分が、日本でフランス料理を作るとき、たとえ人がショウユを使っても、自分だけは絶対に使わない。これが私の見識だ。