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INTERVIEW

1985年 専門料理11月号 「今月の顔」より

基礎を身につけなければならない

室井克義氏(Risetto オーナーシェフ)
 
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基礎のできてない料理がおいしいはずがない

 日本のイタリア料理が、ここ4,5年で急速に活況を呈していますね。本格的なイタリア料理が定着しつつある時にイタリアから帰ってこれたことは、とてもいいタイミングだったなと、ありがたく思っています。
 しかし帰って数ヶ月たってみると、イタリア料理がヘルシーだとか新しさだとか、上辺だけのファッションとして話題になっているのが、とても残念に思います。イタリア料理が現代の日本にピツタリ合うのならいいのですが、無理に今の時代に合わせようとしているのなら、結果はあまりよくないと思います。イタリアで料理の修業をしてきた人たちはみな、相当の苦労をして基礎を覚えてきたはずなのに、日本に帰ってくると、いとも簡単にそれを捨てて、時代に合わせていくのはなぜなのでしょう。
 私がイタリアで修業を始めたころ、イタリア人の料理人が香草をやたらに使うのを見てなぜそれほど使う必要があるのか、理解できませんでした。ところが一緒に働きながら注意して見ていると、やはりコツがありました。彼らは一見、無造作に香草をつかんでいますが、そのつどつかむ指が違うんですね。指が二本だったり三本だったり。彼が強調したい香草の時は、三本指でたくさん入れている。しかも、その香草を強調するために、同時に他の香草も入れるのです。たとえば仔羊肉にローズマリーをきかせたい、とします。その時、ローズマリーだけを加えればいいと考えるのが日本人なのです。ところがイタリア入はさらにタイムやエストラゴンなどを加えることでローズマリーの香りをきわだたせようとするのです。このようなテクニックは、長い間イタリア人と一緒に調理場に入って彼らの感覚をつかめるようにならないと、なかなか身につかないものです。
 同じようにオリーブ油の使い方にもポイントがあります。日本にもバージンオリーブ油が輸入されていますが、この上質な油の使い方がまだ適切とは言えないようです。たとえば煮込み料理でタマネギをソテーする時などにこのバージンオリーブ油を使っても、香りもとんでしまい無駄な使い方になってしまいます。そうではなく、スープなどに生で入れる、という使い方をすれば、その旨さを楽しむことができるわけです。
 こうしたことは基礎的なことですが、この基礎をしっかりと身につけないなら新しい調理法などはでてこない、と私は思っています。ところがちょっとイタリア料理をかじり始めた人には、とても簡単な料理に見えるんですね。作り方を見ていると、組合せも作り方も実に単純である。そう思うからすぐアレンジしようとしてしまうわけです。このようにしてスパゲッティ→ラーメン→うどん、と思考して、その類似性の中から安易にアイデア料理を作ることは、日本のイタリア料理にとって大変不幸なことだと思います。

イタリア料理は円筒型で頂点がひとつではない

 基礎のできてないところで作られる料理がおいしいはずがありません。たとえば内臓料理など、下処理を充分に行なえば実に旨いものですが、手を抜くと、てきめんにまずくなります。胃の料理、トリッパにしても、下処理している時の臭いも形も、とてもおいしそうではありません。しかし白ブドウ酒とブドウ酒酢を使ってしっかり下処理すれば、とても旨い味になるはずです。ていねいに下処理をして独特の臭みを取り、しかも旨み、香りを表現する。そうしてこそ、初めて食べた人でも「おいしい、これは何ですか」という感想が生まれてくるのです。これはトリッパという旨いものです、といって客に勧めるのも大切ですが「食べておいしかったけど、これがトリッパというものなのか」と言わせるほうが、より印象は深いものです。
 初めてある素材を食べた客にまずい、と思わせたなら、その人は二度とその素材を食べようとはしないでしょう。これは不幸なことです。それでなくても異国の料理というのは味の体系がまったく違って簡単になじめるものではないのですから。
 そういう意味では僕自身、これがイタリアの味なんだ、食べてみろ、といった気負いはありません。そうではなく、こんな味もあるし、また別にこんな味もありますと、大衆的な料理からリストランテで出す高級を料理まで、幅広く作って、味わってもらうのが今の日本のイタリア料理には必要だし、それが僕たちの使命だと思っています。
 よくイタリアで料理を食べた人が、イタリアで食べるとあれほどおいしいのに、他所の土地だと何であの味がでないのか、といいます。これは外国料理である以上、やむを得ないことでもありますが、同時にイタリア料理が、その土地土地と密接に結びついた料理である、ということにも起因しています。イタリアには、統一されたイタリア料理というものはなく、それぞれにまったく違う体系を持った地方の料理の集合体があるだけなのです。これはフランス料理のように、エスコフィエのような地方の料理を集大成する偉人が出ていない、ということにも理由があるはずです。
 フランス料理の味の体系はいわばピラミッド型で、頂点はひとつという感じがします。ですから他国でもある水準の味が出せるのです。ところがイタリア料理は円筒型で頂点がひとつではありません。したがってその土地の気候や素材によって大きく影響されてしまうのでしょう。でもこれがイタリア料理の良さなのですから、その良さを感じるようになる時代がくることを望みたいと思います。