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INTERVIEW

月刊専門料理 1982年4月号「料理ということ」より

食に係わるのは、喜びを持ったよい仕事

辻 嘉一氏(辻留 2代目主人)
 
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真心こめて料理を作る

 お茶事の際に一期一会という言葉がございます。一生に一度の機会だと思えということですが、何をするにもこう思うことでございます。
 お茶の千家というのは、裏千家も表千家もおおもとは千利休さんです。利休さんは一六歳の時に武野紹鴎(室町時代の茶人。茶道を民衆生活に近づけたといわれる)に入門したわけですが、初めは何度たずねても断わられて、やっと四、五日後に来いといわれた時は、坊主頭になって、十徳を着てごあいさつにあがったんです。昔は、目上の人に教えを受けるというのは一生のことでございました。
 ある時、武野紹鴎が青竹を蓋置きに使いたいと思われた。これのいい悪いを利休に聞きたいと思ったけれど自分の弟子に聞くわけにいかない。それであいつ、どんな顔しよるかというんで青竹の蓋置きを作って釜の横に置いて知らん顔して使ったんです。利休はそれを見て″いいなぁ″という顔をしたんですな。こうして、それから青竹がお茶事に使われるようになったと言われとります。
 利休さんが侘びとは何かを武野紹鴎に聞かれた、その御返しの手紙が今も残っとります。
 ″正直に慎み深く、おごらぬ様を侘びという″
 そうして利休さんは、お茶とはこういうものだと言っております。
 ″花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の春を見せばや″
 三條西実隆という方がお作りになった歌です。利休さんは不思議なことに御自分では歌をお作りになりませんでしたが、雪間の草の春を見る、つまり、ここまで物が見えることが大切だということです。これがお茶の心だといっております。
 お茶事に料理を食べるのは、吉野から取り寄せた杉の長細の角のお箸ですが、利休さんはお茶事の日に、朝から自分で赤杉をけずって、このお箸を作ったといわれております。客をいかに大事に考えるかということですね。そうして季節の旬のものを使って、真心こめて料理を作るわけです。

誇りを持って勉強せなあきません

 料理はタイミングよく出すことです。最近の日本料理は、恥ずかしながら熱というものを忘れとります。温泉街なんか行きますと、蓋ものの蓋をとったら中が冷たいような料理がございますねえ。これでは、日本料理を若い人が食べなくなるのも無理はないと思いますね。
 椀ものの話をしますと、長い廊下を運んで料理を出すところでは、上が開いたお椀を使うてはいけません。廊下を運ぶうちに、表面が波打って、客の前に出す時は、きたなくなります。たしかに上が開いた椀のほうが、量が多く見えて中身も見えるんだけれど、きたなくなるのはいけません。
 どんな大勢の宴会でも、料理を温かく出す工夫はございます。
 椀ものは、椀だねを入れて客の前に置きますね。汁は西洋料理でスープをつぎわけるのと同じようにやるわけです。杓子で汁をよそりまして、椀を杓子の下に動かして、注ぎ入れればよろしいのです。
 この時、椀のふちを汚さないようにきれいにサーッと入れます。これも一つの技術でございますね。
 白味噌汁に入れるとき辛子一つとっても、あの溶き方というのは、椀に入れたときに、ソフトクリームの先がフワッと立つようなとき具合でないといけません。だらっと流れてしまったり、堅すぎてもっこりしたようなんはいけません。むずかしいもんです。
 私は戦争の時にビルマにおりました。ちょうど乾季にあたっていて、水が全然ない。朝から行軍しておりまして、一日中、水のないところを歩いて暗くなってから″水があるぞ″という声に走り出していってみると泥水なんです。それでも涙を流して飲みましたけれど、その時思ったのは、日本には四季があって、おいしい水があっていいなあということでございました。
 日本には、刺身や洗いがございますね。これも水がよいからです。それから四季があるから、旬のものがある。ところが今は、便利になりすぎまして、いいものには必ず裏がございます。便利になりすぎてサンマなんか、北海道でみんな獲ってしまうから、千葉まで来なくなりました。カツオも同じです。
 それでも、食べるということには今、皆が注目しております。その食べものに係わるというのは、喜びを持ったよい仕事ですから、誇りを持ってもっともっと勉強せなあきません。私はこの歳になっても毎日、本を読んで勉強しとります。キリがないほどあるんでっせ。