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INTERVIEW

月刊専門料理別冊「現代フランス料理4」(昭和59年発行)より

小鳥が歌うように自由な料理を生み出す

ミッシェル・ゲラール氏(レ・プレ・エ・レ・スルス・ドゥジェニー シェフ)
 
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歌い、踊り、小鳥のように自由な料理を生み出す

 フランス料理が新しく形を変えて行くことがなくなったのは今世紀初め(20世紀初め)のことです。いわゆる偉大なエスコフィエの法則の時代がやってきたためです。料理がある一定の法則にのっとってしか作られなくなり、それによって何の遊びも、ファンタジーもない料理ばかりになってしまったのです。ですからこのエスコフィエの本が出て以来、料理人たちは、たとえば今日はフィレ・ドゥ・ブフ・リシュリューを作るとすれば、本を取り出してトマトとシャンピニョンが入っているからこれを入れて、次はこのようにしてと、本のとおりにしか作らなくなったのです。ここには料理人の可能性やファンタジーを生かすことなどまったくできず、いわば自動車のオートメーション工場で流れ作業の一員のごとく同じものを作っていたわけです。この中で私たち数人の料理人が、一応このコードにかなった料理を学び、しばらく続けたあと、そこから脱け出して、小鳥が歌うように自由な料理を作ることを試みました。
 もちろんそこにはある種の大胆さがありエスコフィエの料理しか存在し得ないと思っていた人にとっては受け入れにくいものでした、しかし私たちは伝統をベースとした。昔の経験をベースとしたエスコフィエ、その伝統の中から歌い、踊り、小鳥のように自由なヌーヴェル・キュイジーヌを生み出したのです。
 でも残念なことに、この新しい料理は、それ自身が本当の料理であるということを人々に知らしめた後、人々から少し敬遠されるようになったのです。これはある種の料理人たちがヌーヴェル・キュイジーヌを安易に考えてしまったからです。行き過ぎというものはいつも、どの分野にもあるもので、仕方のないものです。
 要するに私たちは、このヌーヴェル・キュイジーヌの土壌固めと、本来持っていたものを引き出すところに来ていると思います。新たにクラシックなヌーヴェル・キュイジーヌを作っていく。これが今であり、新しい時代に入って、第二の新たな息吹を見つけていかなければならないのです。
 私自身についていえば、この広い土地で健康の料理をやってきました。このキィジーヌ・マンスールというのは、いわゆるヌーヴェル・キュイジーヌと間違われがちですが、テクニックも考えもまったく別のものです。
 それとは別に今、私は大量生産の料理というものに非常に興味を持っていて、実際に楽しんでやっています。かなりむずかしいいろいろの問題を解決しなければならないのですが、それも楽しみのひとつです。とにかく一つの料理が、できる限り多くの人に気に入られなければならないし、コマーシャルとして成功しなければならないのですから、売値も安く、したがって原価の安いものを作らなければなりません。

本当に成功する料理人は知性プラス感性の持ち主

 レストランやホテルというのはひとつの劇場であり、その舞台では、できる限り客の要求を満たし、歓びを与え、客の望みにより近づくために料理を作ります。いわゆるグルメのための料理です。あまりバランスをくずしたり、極度の驚きを与えてもいけません。客にとって食べることは歓びであり、自分たちの存在を感じる時でもあるのですから、できるかぎり的確な方法で、間違わずに満足させなければなりません。
 さて、テーブルにつく客に喜びを与えるには、新しい料理の発見ということを考えなくてはいけません。それにはもちろん、いかにうまくハーモニーが合っているかということを忘れてはいけませんし、グルメの人たちの舌を刺激することも考えなくてはならないのです。
 流通も料理にとってはかけがえのないもので、シーズンを問わず新鮮な材料を運んでくることはもちろん、いろんな国の人たちに、いろんな国の料理を発見し、食べるチャンスを与えてくれるものです。いわゆる本当の料理人とは、新しい料理の発見のためにいろんな所へ出かけてゆき、それを自分のもとへ持ち帰り、自分が歓びを与えられる人のところで、それに合うようにアレンジできる人です。このことは日本へ、中国へと出かけて行くフランス人、あるいはフランスへ来て新しいものを学び、持ち帰る日本人の両方にあてはまることです。
 持ち帰った後、自分のキャンバスの上で、あるいは五線譜の上で自分の色に染め、自分の音に編曲して彼らの国の人に合うものに変えていくことは、その人の務めだとも思うし、いうならばこれが文化交流というものになるのではないでしょうか。
 料理人は、多くの才能を持たなければなりません。ただ利口だというのでは、早く仕事を覚えるとか実用の面では役立ちますが、それ以上に創造の才能とか芸術面での才能とかが必要です。これは生まれながらにして持っているもので、これがなければ新しいものを作ったり、調味したりすることはできません。本当に成功する料理人は知性プラス感性の持ち主で、知性というものがなければ、努力することによってそれなりにはなっても、ただ“がんばる料理人”というところでとまってしまいますね。

ミッシェル・ゲラール
1933年パリ郊外北西のヴェテュイユに生まれる。料理に適性を感じ、マントのクレベール・アリックスの下で見習いをする。そこで菓子と料理に関するあらゆる訓練を受ける。海軍での兵役を終えて1955年パリに出て、ホテル・クリヨンでシェフ・パティシエ、次いでシェフ・ソシエとして働く。ブルジョア家庭でシェフを数年務めた後、ブージヴァルのレストラン「カメリア」に入り、ジャン・ドラヴェーヌの下で働く。1965年、古典的な料理規則に飽き、自らパリ郊外のアニエールに小さなビストロを開店する。これが後の「ポ・ト・フー」であり、ここに全世界の食通、パリの有名人が集うことになる。1972年以来ランド地方ウジェニー・レ・バンに落ち着き、田舎の静寂さの中で“おいしく食べてふとらない料理”を念入りに作り上げた。