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INTERVIEW

別冊専門料理「現代フランス料理7」(1991年発行)より

緻密な構成力を持つ独自の世界

アラン・デュカス氏(当時・オテル・ド・パリ〈モナコ〉 総料理長)
 
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 かつてニースの老舗ホテルであるネグレスコに(記者が)ジャック・マクシマンを訪ねた時、調理場に立つ彼のエネルギッシュな動きを見て、彼なら古き名門ホテルを蘇生させることができるな、と納得したことがある。その時のガイドブック『ゴー・ミヨ』のタイトルが「かまどの前のボナパルト」だった。
 今回、モナコのモンテカルロにある、創業が一八六四年という、これまた名門ホテル『オテル・ド・パリ』の調理場にアラン・デュカス(Alain Ducasse)を訪ねて、かつてのジャック・マクシマンのことを想い出したものだ。
 もちろん人間としてのタイプが同じということではない。マクシマンは、調理場でスタッフの先頭に立って自分自身が汗をかいて仕事をする、という印象だった。一方のアラン・デュカスは、自分のつくりたい料理を実現させるために、スタッフの構成を考え、調理場全体の総合力で、ある水準の料理をお客の前に出す、そのディレクターといった位置にいた。シェフ・ルームでスタッフに指示を与える時も調理場に立って全体の動きを統率する時も、反応がすばやく、的確である。そういう意味で実にエネルギッシュだった。
 アラン・デュカス。本年で三五歳という若さである。その彼が一三〇年余りの歴史を持つホテルの料理部門を頼り、新しく高級フランス料理を提供するレストラン『ルイ一五世』を設けてミシュランの三ツ星を獲得し、宴会部門など他のホテルの飲料施設にも手を入れつつある。

「一三〇年の歴史がある、ということは、一三〇年の伝統があり客の流れがある、ということです。その中で新しく何かをやっていくということは、当然ながらむずかしい。でもここにはいい素材を使うということ、伝統的な素材をどう生かすかということ、という考えが常にあった。その基盤に立って自分の料理をつくることができるというのは、実は私にとってとてもすばらしい条件だったのです。
 私がここに来たことで辞めていくスタッフもいました。でも、何をやりたいのか、どんな料理をつくりたいのかを彼らに説明することで、かなりの人たちが理解してくれたように思う。今では私なりに満足できるスタッフが構成されていると思っています」

 アラン・デュカスは一八歳の時に、ミッシェル・ゲラールの店に修業に入る。ゲラールの店から五〇㎞ほど離れた街で生まれ育ったからである。次にムーラン・ド・ムージャンに移り、ロジェ・ヴェルジュの下で料理の修業をしてから、パリのルノートルでトレトゥール、パティスリー、ショコラティエ、グラシエ、さらにシャルキュトリーと幅広く学んだ。
 それから、アラン・シャペルに入り、以後一〇年間、シャペルの下で働く。

「ミッシェル・ゲラールというのは、すばらしいクリエイターだと思います。よく言われるようにゲラールは料理人でなければ音楽の世界でも、他の芸術の世界でも成功したと思います。
 修業した三人の料理長の印象でいうと、ミッシェル・ゲラールというのは料理のマジシャンですね。ロジェ・ヴェルジュは料理製造業者、アラン・シャペルは職人としての料理人、かな。みんな求めるものは違うと思う。自分自身の料理人としてのエスプリは、アラン・シャペルに属していると思っています。ゲラールの料理というのはコピーできないけど僕の料理はコピーできるからね(笑)。彼は、今の時代を生きている、けっして過去の人じゃない」

これからの料理に大切なのは、今の時代を生きる、世界に通用する料理だと思う

 さて、オテル・ド・パリという大舞台を与えられたアラン・デュカスが、ここでやりたかった料理とは、どんな料理なのか。

「アラン・シャペルで働いている頃、料理界は活況を呈し、ジャーナリズムも活発に報道していました。そんな時代からずっと思ってきたのは、バターやクリームを極力抑えた素材そのものを重視した料理をつくりたいなということです。人間と素材との関わり合いがまず大切です。その密接な関係の上に初めて〝味覚の豊かさ〟というものが表現できるんじゃないか。そんな料理をやりたいと思うし、現在ある程度は実践できていると思っています。
 伝統というのは大切だけど、これからの料理に大切なのは、世界的に通用する料理、という視点だと思うんです。誰にでも食べてもらえる料理、輸出ができる料理。いろんな人がこの料理を味わうんだ、という点に立って考えていくべきだと思っています。そうでないと、フランス料理そのものの未来もないし、料理が生きていかないと思うんです。
 現代という時代に生きている以上、人々の動きというようなことは、好むと好まざるとにかかわらず注意してないといけない。そうでなくては、世界に通用する料理はつくれない。
 逆に、特にアメリカとか日本とか、世界に向けてこういう料理をつくっていこう、と思わなくても、時代に生きていれば、自分がいいと思う料理をつくればいい。そうすれば必ず今の時代の人に合うはずです。そして、はからずも世界の人にも合うということです。
 たとえばアメリカなどに行って、アメリカの人たちがヨーロッパで学んできたものをつくったりしているのを見ると、自分と同じ感覚の料理があるな、と思うことがあります。そういう意味で、私がつくる料理は今の時代、今の生活を反映した料理になっているんだ、と思うんです」

 シェフ・ルームにいるアラン・デュカスは、実に有能なディレクターである。調理場の各セクションの様子をテレビモニターでチェックしながら(シェフ・ルームには数台のテレビモニターがあり、各セクションの様子が映し出されている)、手紙、電話、書類などを事務的に、すばやく処理していく。スタッフと打ち合わせる必要があると、すぐミーティングを、それも手短に行なう。
 このような彼だから、ルイ一五世という高級フランスレストランの料理と、宴会の料理を並行して指揮していくことができるのだろう。実に緻密な構成力であり、それは、アラン・デュカス独自の世界といってもいい。

「その日その日で、すばらしい料理をつくってお客を楽しませるのも大切なことだけど、さらに次ぎの世代に何かを伝えていく力量を持ちながら、新しいものを生み出していく、ということは、とてもむずかしいことです。しかし、自分の考えを次ぎの世代に植えつけていくことも忘れてはならないことだし、大切なことだと思っています」

 オテル・ド・パリの同僚と一緒に乗った飛行機が墜落し、アラン・デュカス一人が助かったという。この強運なデュカスが、これからのフランス料理界でどんな役割を担っていくのか……。