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INTERVIEW

1986年 グランシェフ2 「時代を駆ける男たち」 より

皿の上にドラマがあってもいいじゃないか

依田輝明氏(ラマージュ オーナーシェフ)
 
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練りに練った上で作ってこそ深みのある料理が再現できる

 目の前に素材があった時、その素材に感応してインスピレーションで料理を作る、という方法があります。これはこれでその人の個性が出ますし、おいしい料理なのでしょうが、僕なら、素材にすぐ手をつける前に一度間を置いて、その素材を前にあれこれ考えます。こんな組み合わせはどうだろうか、こんな香りを加えたらもっと味が変化するのではないだろうか。
 このように自分なりに頭の中で練りに練って、その後で料理を作り始めるわけです。このように素材を前にして、もっと何かできるんじゃないだろうか、もっと違ったおいしさが表現できるんじゃないか、と練りに練った上で料理を作ってこそ、深みのある料理が表現できると思うのです。
 もちろん、練りに練った料理が、結果として非常に簡素化された料理として表現されるかもしれません。しかしそれは、ふっと思いついてシンプルになったのではなく、その時に自分が考えられることはすべて考えた上で、たどりついたものが結果としてシンブルになった、ということで、そこに自ずから違いがあります。
 つまり、結果として表現される料理は、いろんな形になり得るわけですが、それまでのプロセスを十二分に踏みたい、単にインスピレーションだけの料理は作りたくない、と思うのです。
 自分の経験とかカンに頼って仕事をしていますと、そしてその経験やカン、自分のセンスをあまり過信していますと、時として食べられない料理を作ってしまう危険があるのです。それと、常に自分のセンスだけで勝負した料理を作っていきますと、一定した料理というのが出きません。必然的にそうなります。
 時としてすばらしい、今までにだれも考えたことのないような料理ができる可能性もあります。その反面、とても料理とはいえないものができ上がることもあるのです。
 そういう不安定な方法、部分を、僕は少しでもなくしていきたいと思います。そのためにも僕は、料理を作る前に、充分に考え、練り上げたいと思うのです。
 たとえば僕の料理が大好きな、いわばファンみたいな人がいたとします。その人はきっと、僕がどんな料理を作ろうが、許してくれ、喜んでくれるでしょう。しかし一般のお客さんというのは、僕がどんな人物で、どんな考えで料理を作っているかなど関係ないことだし、知ろうともしないでしよう。要は、今、目の前にある料理が自分にとっておいしいかまずいかが、すべてなわけです。そういうお客さんに、自己満足の料理を出しちゃいけないと思うのです。
 今日食べたお客さんが、1週間後に同じ料理を注文したとしても、その料理のソースも火の通り方も盛り付けも、すべて同じでなければいけないのです。いつ来ても同じ味、同じ量。これをスタッフとともに作り上げるには、経験とセンスにのみ頼った料理ではとても無理で、方法を練り上げ、充分に構成されたものでなければ不可能なのです。

食べる楽しみにもうひとつドラマを

 料理は大前提として旨くなければいけません。その上で、皿の上にある料理がお客さんに感動を与えるために、何らかのアクセントが必要になってきます。主張と言い換えてもいいかもしれません。
 そのアクセントは、少なくとも食べられるものでつけられるべきで、食べられないものを皿の上に置くことでアクセントをつけることはよくない、と思います。オマールの殻やきれいな花は、客の口には入らないものなのですから意味がないのです。そうではない方法で、盛り付けを考えるべきです。
 一目見て、その料理がどんなものか分かってしまう安心感のある料理もすばらしいと思いますが、できればもう一歩進めて、食べた時にワッと驚くような意外感を抱いてもらいたいと思います。あ、この料理は、こんなおいしさが隠されていたのか、という喜びをお客さんに感じてほしい、と思うのです。
 そのことをかっこよく言えば、皿の上にドラマがあってもいいじゃないか、ということです。しかも、そのドラマは、いいドラマでなくちゃいけません。哀しみ、憎しみではなく、あくまでも楽しく、幸福なドラマをそこに展開してほしい。
 お客さん側からみて、食べる楽しみに、もうひとつ楽しいドラマを与えてあげたいのです。ワーッ、おいしい、エッ、こんな組み合わせがあるんだ!このような楽しみをお客さんに与えるのが、僕たち料理人の使命だと思うのです。
 だからといつて、全部が全部それじゃ、うんざりされちゃうことも事実です。中には、シンプルにグリエしただけ、なんていう料理の旨さも大切です。また、充分に煮込んだおいしさ、というのもあります。それらの料理も、視覚的には平凡でも味にドラマがある、といえるのかもしれません。
 フランスでの修業で、帰国前にジャマンのジョエル・ロビュションの下で一年間働いたことが、今の僕には大きな影響を与えていると思います。彼が作る完璧に近い料理は、まさに僕が求めている、練り上げ、考えつくした上で表現されるものでした。その上に彼は今、客が何を求めているかをよく知り、それを皿に表現します。ミジョテされ、正確に構成された料理、それ故に深みのある料理こそ、僕がこれからも目標としていくにたる、すばらしいものだと思います。自分なりの方法でそれに近づきたいと思っています。