Follow us!

Facebook Twitter

INTERVIEW

別冊専門料理「グランシェフ13」より

完璧さへの可能性を追求

磯谷 卓氏(クレッセント 料理長)
 
一覧へ戻る

最高の「おいしさ」を表現するため、完璧さへの可能性を追求することが私のテーマ

――東京の老舗フランス料理店、「クレッセント」が、1997年から全館を挙げて取り組んだ店内の改装やコンセプトのリニューアル。この新生クレッセントの核となるのが、97年夏から料理長を務める磯谷 卓さんだ。
 在仏11年。その経歴を聞くと、トラマ、クロコディル、ゲラール、トロワグロ、ジラルデと、まさにキラ星のごとく有名店が並ぶ。それぞれの店でみっちりと経験を積みながらフランス料理の王道を真っ直ぐに歩み、ジラルデで丸5年を過ごした時点で請われての帰国とあって、周囲の期待は否が応にも高い。

 フランスに渡ったのはまだ23歳の時で、仕事に対する先入観なんてほとんどありませんでした。あらゆることを率直に受け入れるだけで、私にはそれがよかったと思っています。
 それぞれのシェフから何を学んだか? そうですね……、最初に入ったパリのブルゴーニュ料理店では、洗練されていない煮込み料理のうまさを。トラマはまったくの反対です。料理をくずすことからはじめて、そのパーツを一つひとつ再構成していく。特に触感のコントラストに非常に敏感でした。クロコディルではこういう素材ならこのソース、といった料理の基本。ゲラールではすべての皿に香りがあり、うまみがしっかりとサポートしていたし、トロワグロには、100何名のお客さんでも問題なく料理を出せるシステムがありました。
 ただ、三ツ星で修業したとか、そこそこのポジションで務めたとか言っても、それと、料理の何たるかをつかむこととは別だと思います。よく覚えているのは、トロワグロで“シェフおまかせ”のオーダーが入った時のこと。その日は、親父さんが仕切ってたんです。で、彼はメインをピジョンに決めて、付け合せは何にしようかなーという感じでうろうろしてた。そして賄いのラタトゥイユを見つけて、「お、これだ」と。それを見てはじめて、そうか、自分の食べたいものを出すのが料理なんだ、ということに気づいたんです。
 もちろん、何てことはない当たり前のことです。でも、当たり前のことなんだけど、それまではわかってなかった。目の前の仕事をこなすばかりで、「おいしいものを出すとは何か」という本質には目が向いていなかったんですね。その時、つくづく感じました。
 ただ、自分の中で何かが決定的に変わったのは、「ジラルデ」に行ったことにつきます。ここで仕事をして、料理に対する考え方が変わった。たぶんそれ以前なら「料理って何だ」と聞かれたら「気合いだ」と答えていたと思います(笑)。でも、あそこで仕事をしたことで、「料理とは愛情だ」と自信を持って言えるようになりましたから。

こんな面倒なことできないと思ったら、それで終わり

――磯谷さんが「トロワグロ」に勤めて一年経った頃、シェフの父ピエールがジラルデに紹介の電話をかけてくれた。フレディ・ジラルデは、日々その時最高の素材で、その時最高のコースを創作することで、ほとんど伝説的な存在だった。磯谷さんは、入ってみて驚愕。毎日F1レーサー並みの集中力を問われる仕事にショックを受け、同時に腰を据え直したという。

 今まで三ツ星で修業してきたのは何だったのかと思うくらい、仕事が違いました。胃に穴があきそうになるほど、一日の密度が濃い。
 たとえばたんなるジャガイモのソテーでも、オーダーが入ってから皮をむいて切って、さらして、それからソテーする。何も下準備しないからこそ、食べた時にイモの香りが最高に出るんですね。すべてがこの調子です。そのうえメニューもなかなか決まらなくて、8名テーブルで2皿まで出したのにまだ肉は未定、ということもザラですし、その日の素材が決まってても、突然シェフが「市場ですばらしい素材を見つけたから」と、急に変更になる。一つの皿をいじれば、他の皿の調整が必要になるので、ポジションの担当者は、急遽それにかかります。指示される前にやらないととても追いつきませんから、いつも神経を張り巡らせていないといけない。
 ジラルデを見ていると、「シェフとは我がままであるべき」とつくづく感じます。彼は昨日言ったことと今日言うことがコロコロ変わる。それはつまり、「おいしいものを出したい」という執着心がものすごく強いからなんです。よりよいものをぎりぎりまで考えて考えて、考え抜くから、なかなか決断もできない。それは自分たちの安心よりも、おいしいものを食べて喜んでほしい、という気持ちのほうがはるかに強いから。彼は味覚の天才ですが、それ以上に、人をもてなすことに対して子供のように純真で、貪欲で、それがあの料理のベースになっているように思います。ここで仕事をしたことで、「料理人はお客さんのために何ができるか」という視点でものが考えられるようになりました。おいしいものを食べてもらうためには、どこが限界なのか、それを一歩前に進める可能性はあるか、それをスタッフにどう要求するか……。
 どんなにすばらしい発想と技術があっても、すべてを一人でこなすことはできません。ジラルデのような天才ならさぞかし、自分の思いをスタッフにゆだねることに不安があったでしょう。でも、彼はそれを皆に共有させた。一度三度は失敗しても、次にはできるという可能性をいつも追求していたと思うんです。スタッフは実際、強者揃いでしたが、それ以上に、皆がシェフからの信頼を核に一つになっていた。そこに彼の偉大さを感じるんです。
「クレッセント」に入って最初にしたのは、まずキッチンの組織作りです。それまでの焼き場。ソーシエというセクション分けから、肉担当。魚担当という分け方に変えました。いつもできたての料理を出す、というキッチンにしたいから。ソーシエが独立していると、料理の方向は“早倒し”になりがちです。もちろん、それを果てしなく高度につきつめていくという考え方もありますが、ここでは、肉が焼けたら体ませている間に鍋をデクラッセしてソースを仕上げ、それをかけて提供、という基本をとことん追求したいと思う。
 付け合せでも、イモのソテーならシャンシャンと炒めて、バターがぶちぶちとなった熱々のところをさっと出す、と、すべてをベストタイミングで、最高にうまいと言える状態で提供することが目標です。その一方、プレゼンテーションの美しさにもこだわりたい。準備できる前菜などは特に、ロビュション的な精緻な盛りつけを目指します。それはお客さんのためでもありますが、むしろ自分たちのため。こんな面倒なことできないと思ったらそれで終わりで、進歩はありません。やればできるということ、ぎりぎりまで完璧さを求めること、仕事の厳正さをみずからに課していきたいんです。料理を一歩前進させていくためにはそれが必要だと思うからです。
 イメージとしては、前菜はできる限り盛りつけにも手をかけて美しく、肉料理は逆に素材の力強さをストレートに引き出してシンプルに、魚や甲殻類は、自分の頭の中で膨らませた味の組み合せをベースにやや複雑に……といった感じでしょうか。料亭としての華麗さ贅沢さと、うまいもの屋としてのシンプルなおいしさとの両方を追求したい。その可能性を追いかけていきたいと思います。

■磯谷 卓(いそがい・たかし)
1963年、新潟県能生町生まれ。家業は漁師で、少年時代から魚に親しむ。調理師学校卒業後、「オークラホテル新潟」「花の木」(福岡)を経て、渡仏。「シェ・レザンジュ」「ローベルガード」「クロコディル」「ミッシェル・ゲラール」「トロワグロ」に各約1年、「ジラルデ」で5年間修業する。97年、「クレッセント」の料理長に招聘されて帰国、現在に至る。