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INTERVIEW

1985年 グランシェフ1 「時代を駆ける男たち」より

これでいいんだと思ったらだめ

熊谷喜八氏(KIHACHI 店主)
 
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レストランにはドラマが必要

 この店も今年で10年目を迎えますが、10年間常に繁盛している、先頭を切っているということは実に難しいことだとふり返って思います。店を有名にするのは簡単かもしれませんが、それを維持するには何倍もの努力がいるということですね。最初は無我夢中ですから何でもできますが、すぐ中だるみがくる。それを作らないでどんどん進んでいくというのは、そう容易なことじゃありません。
 私はこのぐらいの大きさの規模の店ではスターはいらないと思ってきました。スターがいると、その存在がなくなった時にその店の存在感も薄くなるからです。それよりはスタッフの全体が、ある一定以上のレベルにあるということのほうが大切です。ですから私はなるべく前面に出まい、としてきたのです。
 レストラン業というのはロマンを売ることだと思うのです、食べものを通して。私はその中の料理を作るという部分、ある意味の自己満足を得ているわけですね。その自己満足を客にまで押しつけてはいけない、と思うんです。あくまでも客が主役で、私たちはその小道具作りである、そういう考えなんです。私が表面に出なくとも、たとえばメニューの中に自分を主張しているわけです。そして、いかに客が喜ぶメニューにするかに心を配るわけです。初めての客でもわかる、誰が見ても食べたいなと思うメニューでありたいですから。
 ここで食事をしていると、皿の上に夕陽がかぶさってきます。潮風も入ってきます。ヨットも見えます。こういう自然というものは金では買えないドラマです。このドラマというのが大切だと思うのです。私がシンガポールに行った時、飛行機から降りたとたん、ウワーと熱い。この衝撃、これが必要です。よく熱い国は熱い時に、寒い国は寒い時に行けというでしょう。真っ盛りのすごさを、それを体に感じさせなければいけないと思うんです。
 その点、東京のレストランにはドラマがないんじゃないかな。それなりに旨いし、きれいだし、インテリアもサービスもいい。文句のつけようがない。でも全然おもしろくないんですね。2,3日で行ったことも忘れてしまうし、料理なんてまったくふっとんじゃう。
 たとえば、スズキが一匹入るような鍋を作って鍋ごと客の前にポンと置いて、自分たちで取ってもらう。そうした驚きが、強烈な思い出となって客の中に残るんです。
 ある時、ここに来るのにバス停をひとつ間違えた客がいたんですね。冬の寒い時に真暗な道をトボトボ歩いて来たら、向こうにボーッとラ・マーレが見えたんだそうです。たどりついて店に入ったとたんワーンと人がいるというわけです。これはドラマですね。それからのすべての食事が、光り輝いてくるんですね。食べた料理がみんなおいしく感じる。こういうことが大切じゃないでしょうか。フランス料理といえば、シャンソンが聞こえて黒服のギャルソンがいて……。こうじゃなきゃいけないということにこだわりすぎていると思うのです。
 フランス料理店の本質をふまえて、それをくずせばいいんです。ところが本質を知らずにくずすと、慇懃無礼になってしまう。本質を知ってて、しかも自由に遊んでいる。そこが大切なところじゃないでしょうか。

料理長は優秀な組織者であるべし

 まず普通の客に来てもらうこと。ポケットマネーで気楽な格好で食べられる店。こうしたことはよく言われますが、実践している店は意外と少ないと思います。私たちはそれを意識的にやってきたつもりです。日常の食事の延長のような料理、一人の客も心地よくさせてしまうレストラン。
 夏と冬とに一日だけのパーティーを毎年開いていますが、そのパーティーを盛り上げるのも私たちです。私たちが気取っていたんでは客も遊べない。私たちが楽しんじゃうからこそ、客が心から楽しんでくれるんですね。レストランは楽しむための場所でありたいし、客を楽しませてあげるのが私たちの役割です。ところがどうしてもシェフが主役だったり、メートル・ドテルが主役だったり、はたまた店のインテリアが主役だったりするところが多いんですね。それに日本のグルメの中には悪いくせがあって、店の親父におこられるのが好きな人なんかもいますからね(笑)。まあ私たちの商売、金を払ってもらって頭を下げさせるんだから、大変なものですよ(笑)。
 これからのレストランは、パパママ的な店か大きな店しか残っていけないのではないでしょうか。そこで料理長に求められているのは優秀な組織者ですよ。自分の思い描いていることを完璧にするためには、自らすべてやってはいけない。自分一人の能力なんて微々たるものですからね。
 そうした意味ではポール・ボキューズなんて偉大ですね。今でいえばジョエル・ロビュションですか。彼とは一緒に働いたこともありますが、今の彼のオ能は当時は半分ほどしか感じませんでした。ボキューズは、あれほどスターでなければ、今のように店にいないといって非難はされないと思いますね、彼の料理の水準は高いものですから。
 フランス料理も時代とともにいろんなモードがありました。私もそれを感じながら走ってきましたが、これからでしょうね、問題は。これでいいんだと思ったらだめで、常に″私は切り込み隊長だ″という気迫で前に進むしかないでしょう。この気迫があるから、若い人たちも私についてきてくれるんだ、と思っていますね。