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INTERVIEW

月刊専門料理 1986年5月号「今月の顔」

教科書は1冊あればいい

斎須政雄氏(コート・ドール オーナーシェフ)
 
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師の目で見ると、いろんなものが見えてくる

 料理が私に教えてくれたことは実に多いのです。料理を通しての印象的な人との出会いが私にとってどれほど豊かな糧となってきたことでしょう。私に料理という対象があったからこそ人間形成が多少なりともできてきたのだ、といっても過言ではありません。
 私が千葉のあるレストランで働いていた時でした。そこのシェフが私を注意する時に、「なんでできないんだ、お前にできないわけがないだろう」という言い方をしたのです。これは、いわばやる気を私に起こさせる叱り方でした。いつも私は、はげまされているんだな、とても暖かい眼で見てくれているんだな、ということを感しながら仕事をすることができました。
 レジァンスという店で、短期間やってきていたケラーというフランス人と働いたのが次の出会いでした。頼るものなど何もない私はつたないフランス語で、フランスで働きたい旨を一所懸命伝えようとしました。それが受け入れられたのです。彼は帰国してから、滞在許可証から労働許可証まで、すべて私のために取ってくれました。これは考えられないくらいの好意でした。ですから私は、三年間はケラーさんの下でお礼奉公するつもりで渡仏したのを憶えています。実際は四年の間彼の店でフランスの食生活を通して様々なものを見ることができ、もちろんフランス料理の基礎もここで築くことができました。
 ケラーさんの下を去ってから、私にとって教科書とも言うべき人、ヴィヴアロワのクロード・ペローさんと出会うことができました。私はいつも思うのですが、教科書というのは一冊あればいいと思うのです。その教科書を完全にマスターすれば、必ず他のことにも応用できる。このことはフランス料理の技術に言えることですが、人間も同じだと思うのです。私なりにペローさんという教科書を持って、その人となりから他の人を見ると、いろんなことが見えてくる、ということなのです。
 ペローさんは変わり者ということで評判の人でしたが、会ってみて働いてみると、何も変わってはいませんでした。ただ、言葉の足りない人かもしれません。でも、そんなことは、こちらがそのことを飲み込んでいれば何ということはありません。そんなことより、彼の調理場が実に生き生きとした場であり、そして十数年使っている鍋がピカピカ光り輝いていることだけでも、すばらしいと思ったものです。彼にとって汚れたものを見ることは喜びなのです。何故ならそれをきれいにできるからです。こんなことを言うと、ほらやはり変わり者じゃないか、と思う人があるかもしれません。しかし考えて下さい。料理人にとって、汚れたものを磨き上げること、常にピカピカした調理場にしておくことが、どんなに大切なことかを。彼は、実に当り前のことを、実に合理的に、そして徹底的に行なっているに過ぎないのです。そのことをペローさんに「感じた」人はみな、彼が大好きになるはずです。私はペローさんという眼で、様々なことを見るようになりました。そうすると、いろんなことが見えてくるのです。

食べ歩きよりも家庭が大切

ベルナール・パコーという、私にとって終生のパートナーともいうべき料理人と出会ったのも、ヴィヴアロワでした。私はペローさんを通してベルナールという人の生き方に感じるところがあったのです。それから数年間二人きりでランプロワジーという店で働きながら、無口な彼が今何を感じているのか、ということをいつも思いながら仕事をしていました。料理も、そして人生も、彼と一緒に考え、感じてきたと思っています。ですから日本に帰ってきた今も、ランブロワジー、つまりベルナール・パコーという人を除いては料理を考えられない、といってもいいくらいなのです。
 この素材ならベルナールはどうするだろうか、そんなことを考えながら毎日、料理を作っています。今回撮影した料理の最初に赤ピーマンのムースを作ったのも、二人で考えてきた料理の延長で私は料理を日本で作り始めたよ、というベルナール・パコーヘのいわばメッセージといっていいでしょう。
 もうひとつベルナールを通して学んだことは家庭の大切さということです。このことは私にとっては実に自然に入ってきました。結婚をしてからランブロワジーが開店したのですが、彼がくれる給料の九割は家庭のために使っていました。そうすることは、私にとって家庭というのが一番の喜びの対象でしたから、ごく自然なことでした。そしてまた、フランスにおいて、深くフランス人と心を通わせるためには、家族どうしの付き合いというものがいかに大切か、ということを感じていたからでもありました。私を招いてくれた方は、私の家にもお招きしたい。そういう場を作ることが、フランス人、ひいてはフランスという国を識る上でどんなに重要なことか、そのことがいつも私の頭の中にあったわけです。そんなことに金を使うより、一軒でも多く試食に出かければいいじゃないか、という考え方もあります。そういう意味では、私はほとんど食べ歩きらしいものはしていないことになります。とてもそんな余裕はありませんでしたから。でも、それをあきらめても、充分に補えるものを、この生活の中に見出していた、ということなのです。そのことが、いい悪いではなく、そうしたことすべてが私なのであり、ひいては私の料理なのだ、ということなのです。