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INTERVIEW

別冊専門料理「グランシェフ13」より

忠実に学ぶ日々から自分らしさが生まれた

河野 透氏(モナリザ オーナーシェフ)
 
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 フランス修業から日本に帰り、東京・広尾にある「レストランひらまつ」でシェフとして働きはじめた時、実は意外なところで壁にぶつかったんです。
 シェフの立場に立つのは初めてのことでしたが、オーナーの平松宏之氏からは、「あなたの思いどおりの料理をつくってほしい」という、何の足かせもない自由な環境を与えていただいたんです。お客さまにも恵まれ、スタッフにも支えられて、何不自由なく、自分の思いを料理にぶつけられる環境が整えられていた。
 問題は、私の料理とは何かということでした。誰のものでもない、自分だけのオリジナリティ、自分ならではの個性を出そうとするあまり、どこかにきしみが出てきたのです。素材の使い方にしても、お皿の上の表現にしても、だんだん不自然な方向に走っていると、ある時気づくようになりました。
 シェフたる者、自分らしさを表現しなければ……という焦りが気負いになっていたのでしょうか。結局、オリジナリティという言葉によって、みずから足かせをつくってしまっていたわけです。思い切り、思いどおりにやるということは、何も目新しいものを量産することではない。それまで自分が学んできた料理を正しく再現するだけでも、充分価値があることですし、そのベースに自分のテイストを加えて発展させてこそ、〝地に足のついた〟オリジナルな料理になるのだと思うようになりました。

――八年間のフランス滞在中、河野氏は三ツ星、二ツ星などのレストラン計六軒で修業。中でもジョエル・ロビュションの「ジャマン」では二年半ともっとも長く働いた。そしてスイスにも足をのばし、「ジラルデ」でも一年を過ごす。ロビュションのひと皿の緻密な構成力や、一点の隙もない繊細で完璧な盛りつけ、いっぼう、その場その場の素材に応じて最高の料理を目指す柔軟な考えの持ち主、ジラルデ。好対照な二人の、それぞれの料理に対するポリシーは、ことさら河野氏の心をとらえたようだ。

「ギー・サヴォワ」や「ジョルジュ・プラン」も含め、一軒一軒のレストランで教えていただいたことすべてが、私の財産。中でも心の中を大きく占めているのがロビュションとジラルデでした。一品単位でこれ以上のものはないというほどの完成度を追求するロビュションの鋭い感覚、素材の組み合せもその時々で臨機応変に変化させ、料理の流れを非常に大切にするジラルデのセンス。
 毎日の仕事の中で、私は、彼らが頭の中で考えていることをいつも自分の中で反すうします。ロビュションにとっての完璧とは何か、なぜそうするのかを考え、繰り返しながら、さらに少しずつ自分なりに思うことをノートに書きためてきました。そうするうちに自分ならではの方向性、つくりたいものが整理され、形としてまとまってきたんですね。ここにきて、なんとかそれらを自分のメッセージとして表現できるようになりました。
 自分は、お客さまに何を食べさせたいのか、何を感じとってもらいたいのか、それをつきつめていけば、おのずと自分らしさが出てくるものです。このひと皿で表現したいのは素材のピュアな味なのか、それとも香りや触感を際立たせることなのか、あるいは他の素材と一緒になってこそ生まれるハーモニーなのか……。一つの素材が一〇人の料理人の手にかかれば、一〇通りの解釈と主張がある。目的が的確であればこそ、その一点に向かって調理のプロセスも必然的に決まってきます。(中略)
 一つひとつの点を集めた時に、単なる点の集合体ではない新しい平面の世界ができる、味の組み合せによってはさらに奥行きが出る……以前は、自分でつくってはいても、あまり深くは意識していなかったことです。個々の要素をもっとおいしくする術を追求する姿勢のほうが強かったかもしれない。しかし、いつの頃からか、こういった立体的な味の組み立てを強く意識するようになりました。ロビュションがいつも「部分的にでなく、すべての要素を口に入れて味見しろ」と言っていた意味も、今はより深く理解できます。

家庭料理などとは違ったレストラン料理のおいしさや楽しみを享受してほしい

――そもそも河野氏の帰国は一九九四年に東京・恵比寿のガーデン・プレイスに開館したシャトーレストラン「タイユバン・ロブション」の日本人シェフに就くためだった。
 開業一年前からここで再びロビュションの世界に専心することで、さらに自分の原点を見つめ直すことができたようだ。そして九七年一月、最先端のフランス料理のテクニックを携えて独立する。

 独立するにあたって大事にしたいと思ったのは、フランス料理を特別な日の料理としてではなく、日常の食事の一つとして気軽に楽しんでいただく、そのためのレストランでありたいということでした。外食の一つとして、ごく自然にフランス料理を選んでもらいたかった。
 これまで、私自身はフランスの修業先を含め、日本に帰国してからもずっとグラン・メゾンといわれるレストランで働いてきましたが、その経験の中で、ハレの日のためのフランス料理と同時に、日々の食事のフランス料理というものがもっと拡がっていけばどんなに楽しいだろうかという思いを感じてきました。日本でも、すでにビストロやブラッスリー、あるいはカフェといった形態の店を含めて日常の生活の中にフランス料理が浸透しつつありますが、そうした家庭料理や郷土料理の延長上にあるものとは違った、レストラン料理のおいしさや楽しみを、もっと多くのお客さまに享受してほしいのです。
 フランスの多くの星つきレストランで学んできたことは、今私の量重な財産になっていますが、その宝が輝くのは、ひとりでも多くのお客さまに私の料理を食べていただき、フランス料理のおいしさを理解してもらってこそのこと。時代の先端をいく料理がふさわしい場は、必ずしもグラン・メゾンだけではないと思うのです。
 フランスではレストランは社交の場とされ、子供の来店は禁じていることが多いのですが、私は子供から年配の方まで、誰もが、いつでもフランス料理を楽しめることを大事にしたい。ギャルソンのサービスに堅苦しさを感じられていると察した場合には、さりげなく料理人に代わらせたりもします。時によって人によって、洗練されたスマートなサービスよりも、素朴な対応が心地よいこともあるわけです。私が「モナリザ」という店名に託したものは、フランス料理との出会いがお客さまの気持ちをなごませ、微笑みをもたらすものでありたいということです。

■河野 透(かわの・とおる)
1957年、宮崎県児湯郡生まれ。調理師学校卒業後、精養軒を経て82年に渡仏。「ギー・サヴォワ」「ジャマン」「ジョルジユ・プラン」「ジラルデ」等で計8年間修業する。90年に帰国。「レストランひらまつ」のシェフに。93年、準備段階の「シャトーレストラン・タイユバン・ロプション」(94年10月開業)に移り、日本人シェフを務める。97年に独立、「モナリザ」を開店した。