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INTERVIEW

別冊専門料理「グランシェフ 7」(1990年発行)

豊かな素朴さに託すイタリア

日高良実氏(元・リストランテ山崎 料理長〈当時33歳〉)
 
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「豊かな素朴さ」という言葉にイタリア料理のメッセージを託す

 イタリア料理に携わっている人間にとって、フランス料理という世界は常に頭のどこかでチカチカと信号を送ってくる気になる存在のもののようです。少なくとも私自身の中ではいつもフランスとイタリアとが背中合せの関係で、イタリア料理に向かっている時にも常にフランス料理が顔をのぞかせてきました。私は料理人のスタートとしての時期、神戸ポートピアホテルのアラン・シャペルでフランス料理を、東京のリストランテ・ハナダでイタリア料理をと、二つの分野で仕事をしてきましたので、いっそうこの二つが密接にかかわってきたのかもしれません。
 フランス料理の人たちが、たとえばイタリア料理にヒントを得て、その食材なり、調理の技法なりを取り入れる時は、なんのこだわりもなく、それこそ自由奔放にさらりとやってのけます。それでいてフランス料理というカテゴリーを崩すことなく、堂々としている。それなのに、これを逆の方向から攻めようとすると、どうしても身動きの不自由さを感じさせてしまうんです。
 イタリアから帰って、この店の料理長を任され、一年とちょっとたちました。正直言って、毎日の仕事の中でこういった、イタリア料理って何だろう、フランス料理って何だろうという思いや迷いが頭の片隅にいつもありました。それで実は、一年という区切りを経て、いま心の中でちょっとした試みを始めたのです。それは思考の方向転換を図ること。いままで何がいけなかったかというと、僕はあまりにも「フランスかイタリアか」でモノを見すぎていたんです。ここまでがイタリア料理の領域、ここから先がフランス料理の領域といったように、両者の境界線を意識しすぎていたわけです。そうすると、いつもこの境界線が気になって、これを越えすぎたらいけない、気をつけようと、二つの関係でがんじがらめになっていたんですね。
 だから、もうその境界線はとっぱらうようにしたのです。イタリア料理の発想法を起点にして、僕自身のとらえたイタリア料理のイメージの世界の中で、あとはもう自由に進んでいこうと。ある時、たとえ以前と同じフランス料理のテクニックを使ったとしても、意識の上でそれはフランスではなく、自分の領域なのです。あくまでもイタリアのイメージを大切にすることで、よりイタリアらしさを出せるようになった気がしました。

技法からイタリア料理のエッセンスを感じとる

 さて、私のイメージするイタリア料理、こだわりたいイタリア料理というのは、豊かな素朴さ、それをざっくりとした感覚で盛るということです。ソースは? だしは? 付け合わせは? という複合的な要素に発展しないで、魚なら魚のおいしさを純粋に、シンプルな旨みとして仕上げることに集中したいと思っているわけです。それが「豊かな素朴さ」という言葉に託している私のイタリア料理のメッセージなのです。
 一皿の構成は単純で素朴ではあるけれども、しかし個々の素材の扱い方には神経を使います。たとえば、下処理をいかにきっちりやるか、おいしさが出る火の入れ方はどこまでか、歯切れのよさとか滑らかさといった触感をいかに明確に表現するか、調味のアクセントをどうつけるか…こういったことを細やかに見ていく目、これは必要だと思います。
 私がイタリア料理でお世話になったグアルティエーロ・マルケージ、ダル・ペスカトーレ、エノテーカ・ピンキオーリ…これらの店の料理が、洗練されたイタリア料理として注目されるのは、けっきょくこういう、いままでのイタリア料理になかった個々の素材についての細やかな感覚を大切にし始めたということなのではないでしょうか。
 さらに、私がイタリア料理の技法の中でおもしろいな、これがイタリアのエッセンスと言えるものなのかなと思ったのは、たとえばトマトの使い方です。今回のヒゲダラの料理(本誌では「ヒゲダラのアクア・パッツァ風」を紹介)に利用してみましたが、トマトを乾燥させることによって余分な酸味を飛ばし、甘味と酸味のちょうどよいバランスをとりながら、また全体の旨みと香りを際立たせるのです。これを、他の素材、ここではアンチョビーやケッパー、オリーブなどと一緒にして、ヒゲダラをさっと煮込みます。生のトマトを使った時とはまったく違うトマトの個性を、この料理法で知りました。私は乾燥させるのにオーブンを使いましたが、イタリアのある店では外につるして自然に乾燥させていました。それは冬場におけるトマトの貯蔵が本来の目的であったようです。イタリア人にとっては生活の知恵であったものでも、イタリアにとって外国人である私のような者から見ると、それはとても意外が発見であり、またイタリア的な魅力を感じさせるものです。(下略)

日高良実(ひだか よしみ)
1957年10月4日神戸生まれ。調理師学校卒業後、「塩屋異人館倶楽部」、「ドンナロイア」(2店とも神戸)を経て、神戸ポートピアホテルの「アラン・シャペル」に入りフランス料理の経験を積むが、イタリア料理への転向を決意し、東京・銀座の「リストランテ・ハナダ」に入る。1986年、イタリアへ渡る。「エノテーカ・ピンキオーリ」、「グアルティエーロ・マルケージ」、「ダル・ペスカトーレ」などで修業を重ね、北から南まで各地の地方料理を見て回る。1989年、帰国。東京・乃木坂の「リストランテ山崎」の料理長を経て、1990年に東京・西麻布の「アクアパッツァ」料理長に就く。2001年、アクアパッツァ本店を現在の広尾に移転オープン。2003年、同店のオーナーシェフに就任。