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INTERVIEW

「月刊食堂」1962年3月号「若い料理人のために」より

若いうちに外に出なければいけない

村上信夫氏(東京・元帝国ホテル料理顧問)
 
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大きな希望を持って実行を

 まず私の履歴から紹介していくと、昭和八年に小学校の卒業式を待たずに浅草のブラジルというレストランに入ったのが、この道を歩む始まりだった。
 ここブラジルには三年ほどいて、最初の修業から仕込まれ一応の仕事を覚えてやめた。というのはここにいたチーフが私に、大きな所で働く希望を持っているならば、若いうちに外に出なければいけないと忠告を与えてくれ、新富町にある千両という友人の店に私を預けてくれた。ここの店を手伝いながら、現在私の勤める帝国ホテルや他の大きな所に入ろうと手続きを進めていたが〝狭き門″は容易に開かず気をもんでいた。
 そのうち銀座につばさというレストランが開店することになり、ここに籍を置くようになった。つばさでも私は私なりに努力して働き続けていたので、それが認められたのか、支配人の松沢氏の紹介があって、第一ホテルに入ることができたのはたしか十七歳の時だったと思う。
 その後第一ホテルを経て帝国ホテル経営のリッツというレストランに入り、昭和十四年に帝国ホテルに移った。帝国ホテルに入ってからは第二次世界大戦があって、私自身が出征したりホテルが接収されていたりしていやな暗い時代であった。
 そのうちに接収も解除になり、だんだん平和になるにつれ料理界も世界にひけのない料理を作るために外国に勉強に行く必要が出てきた。しかしながら旅券がおりない時で苦労したものだ。ちょうどアメリカ大使であった武内氏について大使館付きとしてベルギーに行くチャンスをつかみ、ベルギーから武内氏のお骨折りもあって、パリ、イタリー、デンマーク、スエーデンなどを廻り三年半近い年月を外国で修業し昭和三十三年に帰国して新館調理場の料理長になった。

健康は大きな資源

 さて、料理の道を歩んできた私のモットーでもあり、若い人達に身につけておいてほしいことを述べてみたい。

一、毎日の勤めをきちんとする

 私は今までに無遅刻、無早退、無欠勤である。これを守ることはそれほどむずかしいことではないが、毎日をきちんと勤めて行くには必要なことではないだろうか。また料理の仕事の中にはきたない仕事が多いが、そういう仕事こそ進んでやり、地味な仕事を地味にコツコツと重ねるべきだろう。

二、一度やった仕事は二度聞かない

 一つの仕事を覚えるときは真剣に覚えなければいけないということと、人間の記憶には限度があるので、一度教えられたならば必ずノートに書きとめ後々までの資料になるようにしなければならない。

三、一日の勤務以外に三十分~一時間でよいから仕事に関係ある勉強をする

 一日一時間勉強することは、それほど大変なことではない。しかし一年になれば三百六十五時間もの大きな時間になりこれだけの時間をただぼんやり過ごした者と、たとえメニューを見るだけであってもそれだけ勉強した者との差はおのずからわかる。料理人としては少なくとも英仏の二カ国語はマスターしなければならないので、その時間にあてるのもよいのではないだろうか。

四、人との和

 料理長など、人の上に立つ人はもちろんだが、仲間と一緒になって働かなければならない料理の世界では人との和を保てるような人間でなければならない。

 最後に若い人達に望むことは、大きな希望を持って小さく実行して行き、仕事には誠意を持ってほしい。
 また私達の時代と違って頭で仕事を覚えるようになっているが、技術は理屈で通らない所があるので体を惜しみなく使うように心掛けてほしい。そのためには体を丈夫にしておかなければならない。私が今日まで勤め続けられるのも健康であったからだ。これは何よりも大きな資源だ。 若い人達よ、健康であってほしい。