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INTERVIEW

1985年 専門料理11月号 「今月の顔」より

料理の最後の決め手は料理人の心

中東吉次氏(美山荘)
 
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技術の前に材料の縁組みが必要だ

 私ども美山荘は周囲をすべて山で囲まれておりますから、料理を食べに来ていただいたお客さまの前には、自然が勝手にどんどん飛び込んできます。その時、料理というものはその自然という周囲と一体化していなければなりません。逆に言えば周囲に負けないだけの存在感が料理になければ、完全に周囲に消されてしまいます。そしてそこで過されたお客さまが、ああ気分がよかった、と帰っていただければ私にはこれ以上の喜びはございません。空気とか水とか植物とかに特別なものを見るのではなしに、その自然と同化できるそんな空間でありたい、と思うからです。
 自然というものは、ある時はやさしく、そしてある時は非常に厳しいものです。お客さまを迎え、その自然のいい部分だけにひたっていただくと同時に、自然の持つ厳しさというものも、私たちがお出しする料理の中に垣間見ていただけたらと思っています。といいますのも、川魚にしても山菜にしましても、風雪に耐えるという期間があってこそ、初めて本当の持ち味があるのだ、と考えるからです。
 同じ材料でも厳しさを受けているものとそうでないものとでは、全然違うものです。ですから自然が持つ華やかな部分を感じていただくだけでなく、それが育ってきた過程というものも合わせて感じていただきたいと思うのです。もちろんそれは私たちの手で作り上げた料理を通してということになります。
 たとえばワラビやゼンマイが土から顔を出している時は自然そのものです。ところが人間がそれをもぎ取りますと、その時から人間に責任があることになります。それを料理にしてお出しするということは、人間でなければできない、ひとつの文化というものに昇華させなければいけません。彼ら山菜の自然の意志に反して命を断ってしまうのですから、より以上に彼らの存在価値を、人間である私たち料理人が高めてあげなければなりません。このことは、野に咲いた花を切り取って床に活けた時、その花が生きるように人間が創り上げなければならないのと同じなのかもしれません。

一所懸命に物を視ていれば、自ずと見えてくるものはある

 料理というものの基盤はもちろん技術でしょうが、それより前に材料の縁組みを私たちがしてあげなくてはなりません。そして技術を持って料理を作るとして、最後の決め手は作り手である料理人の心だと思います。その人の、一瞬の魂のかけどころによって料理は変ってくるはずです。それを食べることによって人間の魂の根源にふれるようなもの。食べものとはそうであってほしいと私は思っています。
 目の前にある料理にそれを語らしめるためには、作る私が人間としての存在感を持ってあたらなければなりません。では人間の存在感とは何かと問われたなら、それは人間だけが独自に作り上げてきた文化なのだと思うのです。
 したがって人間としての目を高め、心を高め、ひいては人間を高めながら材料と対座する。自然の恵みと、風雪に耐えてきたものを前にして、こちら側も相手を正しく視なければなりません。相手を最高に評価して対した時に、料理は″きまる″のでしょう。
 いい材料を手に入れるためには知識だけでは足りません。それよりは、魚と、野菜と対した時に、それがどういった素姓であるかの判断を的確にできる知恵を持っていることの方が大切です。そのためには、いい環境を作り、自然のままに、いい材料が育つ手助けをしなくてはならないのです。一所懸命に物を視ていれば、自ずと見えてくるものはあるはずです。それが知恵、といっていいのでしょう。
 言うまでもなく美山荘は京都にあります。つまり1200年の京都の文化を背景に、あるわけです。昔、洛中から嵯峨野に貴族たちは2,3時間かけて摘草にいったとぃいます。美山荘は山の中といえど、京都市内から1時間あまりのところにあるわけです。しかも周囲を山に囲まれ、大いなる自然と、そして料理がある。野に出る春から冬ごもりまで、野外で遊ぶ昔の人々の遊びを今味わっていただきたい。それが摘草料理という言葉を使った所以なのです。
 街中の料理屋は庭といえども人が作った空間という、極めて限られた空間にあります。ですからそれに負けないだけの器や花、お軸が必要となります。しかし私のところでは逆に周囲が自然そのものですから、国宝級の掛軸よりはもっと場にふさわしいもののほうがお客さまにも喜んでいただけるのです。
 だからといって、いわゆる民芸品を置けばいい、というものでもありません。あくまでも京都という文化を背景に持ちながら、豊かな自然の中で存在感を持たせる。これは、どちらにころんでも似合わないという、いわば綱渡りみたいなところで、自分の位置をはかっていかなければなりません。
 私自身、これだという確かなものをもってこれまで歩んできたのではありません。それどころか、あっちこっちヘウロウロするという中で、少しずつ自分の位置が視えてきた、といつたほうが正確でしょう。それができたのは、私自身、いつも素直であろうとしてきたことと、そんな私に″視るべきものだけを視る″ことを教えてくれた、いく人もの方々との出会いがあったからです。そうして少しずつ視えてきたものを、さらに確かなものに定着させていく。今、私に問われているのはそのことなのだと思っています。