チョコレートの新世界を築く
取材当日、パリ・サントノレ通りの彼の店に出向くと、ウインドーディスプレイの模様替えのまっ最中だった。台に上って作業をしていたのは、ジャン=ポール・エヴァン氏本人だったのだ。
サントノレ店は、高級ブティックが並ぶヴァンドーム広場のそばに1997年にオープンした、エヴァン氏の3店舗目のチョコレートショップである。この店は彼のチョコレート職人としての、そしてエヴァン氏自身のエスプリが、3つある店の中でいちばん確かに、かつダイレクトに表現されている場所ではないだろうか。それは、店のインテリアや彼の作品から感じとれる「洗練とクリエーション(創造)」という言葉が似つかわしい。
ピラミッドという彼のスペシャリテケーキがある。アーモンドとピスタチオのビスキュイにビターチョコレートのガナッシュを縦に挟んで、三角形に仕上げた菓子である。
サフィーというチョコレートケーキがある。アーモンド風味のビスキュイにビターチョコレートのムースを挟み、ところどころに自家製オレンジピールがちりばめられた菓子だ。グヤキルというチョコレートケーキがある。チョコレート風味のビスキュイにカカオの強い風味を生かしたチョコレートムースを挟んだ菓子である。
これらの菓子は構成こそ似ているが、ビスキュイ、ムース、ガナッシュ、上がけとそれぞれの細部において微妙な違いを感じとることができる。ひと言でチョコレートケーキと言ってもそのバリエーションは無限だ。この点こそが、パティシエからチョコレート職人へと転身したエヴァン氏が追究してきたことであり、表現したかったことなのではないだろうか。そして、彼はチョコレートの苦味の享楽を、菓子の洗練された外観とその風味のハーモニーとによって、食べ手に訴え続けてきた。そんなエヴァン氏の思いは、ピラミッドやサフィー、グヤキルがサントノレ店に並べられることによって、今度は世界に向けて発信されようとしている。
エヴァン氏はアトリエでの作業が終わるとたいていこの店に来る。そして自らお客に商品の説明をし、2階のティーサロンでも注文をとって料理を運ぶ。デザイナーは他にいるが、彼は喜んでディスプレイをも手がける。
「僕はチョコレート職人だけど、店では何でもするよ。すべてに責任があるし、人任せにはできない部分も出てくるんだ」
チョコレートが好きだからこそ飽き足りない部分を感じていた
ジャン=ポール・エヴァン氏はパリの庭ともいわれる美しい自然や城を残すロワール地方、マイヨンヌ県のラヴァルという町に生まれた。子ども時代は自然の中で遊ぶのが大好きだったという。実家が農業を営んでいたこともあり、彼は幼少の頃から乳製品をはじめとする、地元の豊富でピュアな産物を食べて育った。その一方で、彼は大のチョコレート好きであったことを認める。しかしその味に、どこか飽き足らない部分を感じていたのだという。
そんな彼はパティシエになることを決心する。それはほとんど直感というべきものだった。彼の行動はいつもこうであって、自分の中から湧き出すひらめきに素直に従い、そしてすぐに行動に移してみるのである。
地元の製菓学校に3年通ってCAP(職業適性証)を取得、同時に近所の菓子店で修業を積む。薪で焚く窯を使っていたというその菓子店での労働時間は長く、早朝から夜中の2時までという日もしょっちゅうだった。厳しい仕事に逃げ出したい時もあったが、自分ではじめた以上は徹底的にやろうという「根性」(サントノレで働くいまのすがすがしい彼の姿からは縁遠い言葉だが)だけはあった。
やがて彼は田舎の一菓子店での日々の仕事に満足し切れず、都会に出ることを決心する。エヴァイン氏17歳の時である。
パリのインターコンチネンタルホテルで働くことになった彼にとって、新しい職場環境や出会いは想像以上に新鮮で刺激的だった。彼は毎日がむじゃらに、しかも向き合う仕事に対して常にベストな方法を模索しながら、着実に技術を身につけていった。2年後、ホテル・ニッコーに入社した時期は、同ホテル内のレストランのシェフとして、かのロブション氏が頭角を現わしはじめた頃とちょうど重なる。エヴァン氏はこの崇高な料理人から、職人としての姿勢、素材に対する技術などのすべてにわたって学んだといってよい。
ロブション氏は仕事に対しては非常に厳格な料理人であり、特に気を遣っていたのは食材だった。彼の食材に関しての知識は深く、個々の特性のみならずその生かし方をも熟知していたので、部下には素材に手をかけすぎず、そのものの持ち味を生かすようにとこと細かに指導した。ゆえに彼のレシピの多くはきわめてシンプルで、まれに多くの食材を使用する複雑なレシピにおいては、調理に特に細心の注意が求められた。とりわけエヴァン氏がロブション氏から教え込まれた最大のことは、味を知り、見分けるということだった。
やがて彼は同ホテルのシェフ・パティシエとして采配をふるうわけだが、その2年後、「ペルティエ」東京店開店の際に責任者として来日することになる。ペルティエ氏といえば、当時『ゴーミヨ』でフランス三大菓子職人のひとりとして賞賛され、エヴァン氏を含めた多くのパティシエが影響を受けた人物である。
ペルティエ氏は、常に菓子づくりにおいて「正確さ」を求める職人だ。たとえば焼成時間。たとえ30秒であっても、窯を開けるのが早くても遅くてもいけない。また、昨日と今日のオペラのできが少しでも異なることをも嫌うように、毎日同じ味、同じ仕上がりであることを重んじたのである。
ロブション氏とペルティエ氏、この偉大なふたりの職人に出会ったことによって、エヴァン氏は素材と味を見極める舌を養い、正確さと美しい仕上がりとを追求する菓子職人としての資質を身につけていったのである。だが、こうした流れは偶然ではないだろう。ふたりの仕事に対して感じる共通の何かをエヴァン氏自身も持っていたからにほかならない。よい出会いや経験をいかに自分の中で噛み砕き、それを生かしていけるかどうかは、その人自身の資質によるのだから。「ペルティエ」東京店から帰国した彼は、ふたたびホテル・ニッコーのシェフ・パティシエとして働く。
「どうしてふたたびニッコーにもどったかって? 私が『ペルティエ』に行けたことを含めて、ニッコーはさまざまな経験の場を与えてくれた。だから恩を返さねばと思ったんだ。人は自分自身の力だけでは何もできない。他人の力あってこその自分なのだから、苦労も喜びもすべて分かち合うべきなのではないだろうか」
ニッコー勤務中に彼はMOF(フランス最優秀技術者)コンクールに挑戦している。MOFといえば、フランス政府からさまざまな分野の優秀な職人にのみ与えられる名誉ある賞である。当然ながらその審査は非常に厳しい。たとえば製菓部門におけるMOFコンクールでは、技術面のみならず芸術性、精神面、独自性、衛生面などのすべてが審査の対象となる。コンクールは3年、あるいは4年に1回開催され、予選、本選と2回にわたって3日ずつ行なわれる。審査の基準は①仕事の内容、②味、③プレゼンテーション。これらをある得点以上クリアしなければ合格にはならないのである。
もちろんMOFに挑戦したのは自身の力を試したかったからにほかならない。彼はそれまでにもシャルル・プルースト、アルパジョン、クープ・ド・フランス、チョコレート世界コンクールなど、数多くのコンクールに出場してほとんど1位という結果を得、自信をつけてきていたのだ。
チョコレートを創り出すことに喜びを感じる。それが私のすべて
さて、ニッコーを去ったエヴァン氏が自分の店を持ったのは1988年のことだ。彼にとっては、店を持つことがかならずしも夢だったというわけではないが、それは彼の直感だったという。並べた商品はチョコレートとチョコレート菓子のみ。この商品構成も同じく直感によるのだった。しかし、彼はチョコレートを専門に扱うようになって十数年経ったいまでも、こんな風に語るのだ。
「チョコレートは私にとっていまだ計り知れない素材だ。理解しようと思ったら一生この道に留まって研究していくしかない」
彼の熱心な研究成果は商品という形になってパリっ子たちの間で評価され、広まっていった。彼らもまた、エヴァン氏がそうだったように従来のチョコレートに満足はしていなかったのである。彼のつくるチョコレートはパリっ子の理解と共感を呼び、エヴァン氏の店は2店目、3店目と増えていったのである。そんな流れだけを追っていくと、彼をしてビジネスマンと評する人たちもいるかもしれない。しかし、エヴァン氏はきっぱりとこういい切る。
「私はあくまでもアルティザン(職人)であって、チョコレートを創り出すことに喜びを感じている。それが私のすべてだ。その他のことには、正直なところ興味がないといっていいくらいだし」
そんな彼の真意が知りたいと思ったならば、ウインドーに並んだ菓子たちを食べてみるといい。一つひとつ上がけの異なるチョコレートケーキ、独特のセンスと技術で構成されたボンボン・ショコラ、□の中でパリッと心地よく砕けるチョコレートの味わいもさることながら、その表面にちりばめられたナッツやフリュイ・コンフィ(フルーツの砂糖漬け)が力強いおいしさを引き出すマンディアン。そして同じ原産地の力カオのみでつくられた板チョコ。それらはいずれもシンプルかつ洗練された外観でありながら、温かさとノスタルジーを感じさせる作品だ。
「私はビックになりたいとは思わない。そんなことを考えれば、自分を見失ってしまうだろう。それに私は常に、人にそしてチョコレートに愛情を持って接することができる立場でいたいから」
彼はいま、1カ所の生産地力カオのみでつくられたチョコレートの研究を続ける。現在、店頭に並べられた生産地力カオの板チョコは、エクアドル、ヴエネズエラ、カリブ産のものなど9種類。これらたくさんの種類の板チョコをつくったのも、まずはお客に産地別の力カオの味と品質を理解してもらいたいから。それをエヴァン氏自身が、お客に店頭で説明する。
「お客に喜んでもらおうという気持ちがなければ、菓子屋にはなれないよ。利益を優先してしまったらおいしいお菓子はつくれないから。若いパティシエたちにもこのことだけはいいたい。そしてお菓子を創り出す喜び、味わう喜びを知ってほしい」
エヴァン氏はそのひらめきで今後どんなことをはじめるのだろう。
「ひらめいてもすぐにそれを実現できるわけではありません。物事には時間がかかるのです。短時間で中途半端なものをつくるより、時間がかかってでもいいものをつくっていきたい……」
ゆっくりと刻まれてゆくフランスの時間は、このアルティザンのためにあったのだろうか。いやそうではない。多忙なエヴァン氏に余った時間があるはずがない。時間は自らつくるのである。