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INTERVIEW

1985年 「月刊専門料理7月号」 日本料理の20年より

1軒の店に5年は勤めよ

栗栖正一氏(たん熊北店 2代目店主)
 
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料理界の流れは時代を反映している

 我々が京都で出している料理の中で、タイの洗い、スズキの洗い、伊勢エビの踊りなどが、現在のような形で料理屋の膳に載るようになったのは、交通機関が発達して、明石の方から、新鮮な魚介類が直送されてくるようになった、大正の終りから昭和の初期です。その頃から、活けの魚を客の前で料理をして出すという、割烹という形が始まってきたので、たん熊も、現在と同じような形での板前割烹を、昭和の初期に開いたのが初まりです。
 この20年、料理界を見ますと、こういう板前割烹的な店がかなり増えてきています。それに比べると、新たにできた料亭は数えるほどしかありません。
 料亭を出すには、什器や調度にたいへん金がかかりますけど、割烹を出すのは、比較的低資本でできます。修業も、5,6年たてば、なんとか見よう見まねで、料理が作れるし、接客にも自信が出てくるわけです。いかにお客さんを喜ばすか、いかにお客さんにかわいがってもらうか、そのあたりのコツも分ってくる頃ですから。
 装置産業である料亭も、かつてのように数組の客をとっていては、材料費、設備費、人件費の高騰でやっていけなくなっており、広間を作り多人数の宴会を受けるように変ってきてます。そうでなければ、元の料亭を象徴的な存在として、そのまま存続させ、支店を出したり、ホテル等にテナントで入っていっているわけです。下火になりつつある料理ブームに対処するために、業界の動きは、敏感に時代の流れを反映しているように思いますね。料理屋の主人は、客の層をどこに決めるか、照準が定まったら、そこをしっかりと狙い打ちしていかねば、むずかしい時代を乗り越えられないでしよう。
 それは日本料理もひとつの転換期にきていることに関わりあるように思います。割烹が増えたということも、素材を生かす料理に、装飾的な技巧的な料理から変ってきた一つなのかもしれません。

ものを学ぶということは真似をするということではない

 専門料理の20年の歩みを見てみますと、長く、個々の閉鎖的な、温存されていたものが、表に引き出されて、紹介され、読者である料理人や主人に、たいへん刺激になりました。しかし表に出す時は、コスチュームを替えたり、誇張された演出がなされる場合が多いのだけれど、読む方は、それをイージィに受け入れてしまったところに問題があるようです。ものを学ぶということは、臥薪嘗胆といつて、苦労して得るものを、たやすく上面だけ取り入れてしまったことは、たいへんもったいない。献立と食器の配置、料理の盛り方は、見たらだいたい分かります。けれど、それはあくまでたたき台であって、真似するものではないのでそれをしてきた結果が、どこへ行っても同じパターンの料理が出てくるということになったのでしょう。それが地方の持つ魅力を見失ってしまうような、中央集権的な料理になってしまうわけです。
 私自身も、常に他人に情報をオープンに提供してきましたし、若い人を育てることには関心を持っています。それは経営的なことをかんがみてもありますが、人材が育っていくことは楽しみでもありますね。「君が腕一本で本気で料理をやっていくのなら、1軒の店に5年は勤めなくてはだめだ。客の信頼を得るために、猫の皮を5枚ぐらい被ってもいいからやり通せ」と言うんです。客のあらゆる面と対応するには、清濁併せ飲む人間でないと勤まりません。