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INTERVIEW

月刊専門料理編集部編『若い調理師のために2 ―料理長は語る―』より

カウンター仕事とは先手必勝

村田吉弘氏(菊乃井 主人)
 
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 古い仕事は理にかなって、悪いもんは永い歴史の中で消えていってますから、ええもんだけ残っている。そういう仕事はどんどん学んでいかなければなりません。しかし、それだけでなく、そんな中にも一工夫すれば、もっと違った料理ができるんではないか、といつも思っています。決して新しいことをしようという意識はないんです。ただ、食べる側にたって、自分が食べてみて本当に旨いと満足できるものをお客さんにも出したいと思うわけです。
 たとえば、この料理はこうしてやるもんや、という昔からの仕事があったとして、その仕事を創り出した人はその定義づけとは違う感覚を持っていたのではないか、と思うことがあります。そうした料理は、後の人が伝承していくうちにひとつの型に固まってしまったのではないか。ですから、古きを学ぶ時にもなぜマナガツオをミソ漬けにしたのか、というところから考えていけば、同じ古きを学んでも、もっと違う発想を現代の料理人ならできる可能性があると思うのです。
 昔、フランスに半年ほど滞在してたころに、ひとつの材料に対してこんなにもものの考え方が違うのかと驚いたことが多かったものです。日本に帰ってみると、いやいや日本の感覚もすばらしい、と思う。ですから今の私はフランスであろうと中国であろうと発想の全然違うところからは学べることがすごくあるし、吸収できるものは吸収したい、という気持ちです。どんな作り方をしても、お客さんに旨い、と言ってもらったら勝ちですから。
 その時、たとえば新しい材料を取り入れたとします。まず異和感のないように取り入れなければ失敗です。ただ高い材料だから使おうというんでは、お客さんはついてきませんから。食べてみた、おいしい、これは一体何やったんだ、実はフォワグラというもんらしい、ああうまいもんやな。こういう形を取らなくては使う意味がない。それだけが異和感のある、ボコッと飛び出すような使い方はしたくないのです。ですからフォワグラだってトリュフだって興味はありますけど、まだまだ客に出す自信はありません。
 それと、そうした外国のものを使わなくとも、京都にはまだ使わなならんものは、ぎょうさんありますから。そこいらをもっと追求していかなければいかんじゃないか、と自分に言い聞かせています。

実を虚にするというのは今の私にはまだこわいですね

 今はカウンターの仕事をしていますが、カウンターというのは先手必勝でしてね。お客さんがそれまで歩いてきた世の中の騒々しい世界からまず遮断しなければなりません。そうして自分の世界に引き込んでしまわなければ負けてしまいます。玄関を開けたとたんにまず緊張させて、最初の料理で頭をガツンとやらな、いけません。ある種の緊張感は、料理をおいしく食べてもらうひとつの要素ですからね。
 お客さんというのは私とこへ料理を食べに来てるだけでない、その時間をいかに楽しもうかと思いながら来てくれはってると思うのです。南座に玉二郎を観に行こうか、それとも菊乃井に行こうか。そういう気持ちで来ていただいていると思うんです。ですから、ああここに食べに来てよかった、充分に楽しんだと思っていただくようにするのが私たちの努めです。料理人は、自分の料理を絶対だと思いがちですけど、そうじゃなくて料理に加わるプラスアルファをこそ楽しみに来ているんだ、作っている人間、料理の出てくるスピード、色彩、応待、あらゆるものをトータルで楽しんでられるのが、お客さんだと思うのです。
 京料理といいますのは、四季の情感を伝えようという努力のなされている料理だと思います。献立を立てる時には、その上にきれいで華やかなもん、食べてほんまにおいしいもん、客が料理に参加できるもん、と押したり引いたりしながら考えます。ただ趣向でも、むやみやたらに派手で内容がないようなことは意味がありません。これ以上やったら遊びになってしまう、というところを踏まえてちょっと華やかに、しかもなるほどと思わせる料理をうまく組み込む。
 実を実にするのは簡単です。虚を実にするのは腕のいい料理人ならします。でも実を虚にせなあかん、というところがあると思うのです。しかし、こわいですね、それをするのが。今の季節はカブラが旨いからといって、カブラを炊いたんだけ出すというのは、こわいですよ、いかに旨いカブラでも。やはリカブラの横にアナゴとか青みをつけようか、ということになってしまう。引く時にぐっと引く。そこで次に押した料理が生きてくる。それでバーンと頭を一撃するような衝撃を与えることができる。その呼吸はよく分かるのですけど、今の私にはやはりまだできませんね。
 最後まで料理を食べ終った後に涙が出るような料理をいつか出したい。なるほどな、と納得して涙が出てくるような感激というのはその料理以外の、たくさんのものを食べるからこそ出てくるもんなんでしょうね。旨い、まずいを越えて、まいった、しばらく話せない……いつかはそんな料理を作りたいですね。
 京都的といわれるもんが線の細い、きゃしゃなもんだとするなら、私は線の太い、どんとしてるもんで、しかも品のいいという世界に自分を持っていきたいと思います。どしっとして雅味があり、なおかつ上品な料理、それがこれから実現していきたい理想の形だと思っています。