Follow us!

Facebook Twitter

INTERVIEW

1985年 「月刊専門料理4月号」 若き料理人に送る言葉より

人のコピーにそれ以上はない

勝又 登氏(オーベルジュ・オー・ミラドー 店主)
 
一覧へ戻る

テクニックだけ学べばいいというわけではない

 「このブドウ酒、フランスから買ってきたんだけど、とても旨いんだ。このブドウ酒に合う料理を作ってくれ」とブドウ酒を持ってくる客が実際にいる。
 料理屋というものは筋書き以外のことが常に起こるものだ。「料理人としての修業」といっても、それは料理のテクニックだけ学べばいいというわけではない。時代に合った料理屋を知ること、それが大きな意味での修業だと私は思う。ブドウ酒のソースを作りながら、ブドウ酒の選別ひとつできなくてはしょうがない。
 私の店にも料理人になりたいと言ってずいぶんたくさんの若い人がやってくる。面接して、なぜ料理人になりたいのか聞くと「料理が好きで好きで」という答えが返ってくる。
 だが一年は外でサービスをしてもらうことにしている。料理屋の流れを知るためだ。電話の応対や話し方など最低限の常識を身に付けるためには日頃のトレーニングが必要。学生時代にラグビーをやっていたという男がガニまたで店の中を歩き回るのを直させたりしたこともあった。
 まだ料理の技術がないのだから、客に料理のことを聞かれても答えられないかもしれないが、そのぶん「かわいく」と言ってはおかしいかもしれないが、謙虚な気持ちで接すること、それに客が手をあげたときには気持ちのいい返事をすることなどを私は彼らに求めている。彼らみんなが、店主兼料理長である私の代弁者なのであるから。

時代にあった料理屋を知ること

 次に料理のテクニックについてだが、このごろの若い人たちは大きな勘違いをしているように思えてならない。つまり古い人の料理には目もくれずに、新しい部分にばかり飛びつくところだ。だが、人のコピーをするのは簡単だが、それ以上には行けないだろう。
 どうして料理の根の部分を知らずして新しい料理が作れるだろう。たとえばソース・ベシャメルもブール・マニエもソース・エスパニョールもすべて知っていて、はじめて古い料理と新しい料理を比較できるし、なぜ今、小麦粉でつなぐことがはやらないのかもわかるのだ。
 私が若い頃は伊勢エビのテルミドールは知っていても、庶民的な料理であるラタトゥイュとはいかなる料理であるのかがわからない時代だった。それを知りたくてフランスに渡ったのだが、ある店で料理の仕上げにパセリをその場でちぎってじかにのせているのを見た。
 私はそれを見てずいぶん荒い仕事だと思った。私の経験ではパセリは細かくきざんで水にさらして青ノリみたいにして使うものだったから。だが私が「荒い仕事」と思ったのは間違いだった。そのパセリは私のパセリの認識を大きく離れた、実に香りの良いパセリだったのだ。
 これからの時代に「おいしい料理を作る」ということは、たとえで言えば「香りの良いパセリを探すこと」ではないかと思う。仕事をこなすだけに終わらせずに、もう一歩踏み込むには、自然の恵み、つまり素材に興味を持つことではないかと思うのだ。