30歳が新たなスタートライン
私の舌が父の味を覚えている
私はもの心ついたときから、自分は大人になったら、中国料理の料理人になるんだと思っていました。父(陳 建民氏)と母が、それとなくそう仕向けていたのかもしれませんけれど、自分でも料理入以外の姿というのは想像できませんでしたから、この世界にはいるのに、何の抵抗もありませんでした。
ただ大学を出るまでは、いっさいこの店には関わらず、調理場にも入りませんでしたから、料理人としてのスタートは決して早くはありませんでした。
21歳のときに初めて調理場に入って、洗い場からやりました。はじめの1年間というのは、他の若い人たちとまったく一緒です。今でもこの店はそうですが、積みあげられた鍋を洗ったり、掃除をしたりというのが、仕事の第一歩です。そうすることで、調理場のシステムもわかってくるし、汚さずに手際よく調理することの大切さ、自分で片づけながら調理する要領などが、自然にわかってくるわけです。私もその一年間というのは、とても勉強になったと思っています。そのあとは私の場合は、どんどん仕事をさせてもらうようになりました。本当にがむしゃらに仕事を党える数年間だったと思います。
四川料理それも父である陳建民の四川料理を継承することを期待されているわけですから、そういう意味でのプレッシャーというのは、かなり大きかったといえるでしょう。
御存知の通り、この店は父が作った店であり、ある意味では、日本の四川料理の総本山ともいうべき店です。その店で、私は父が伝えた日本の四川料理を守っていかなくてはいけない。つまり、昔からの方法を守って、ひとつひとつの料理に手をかけて、きちんと調理することを要求されるわけです。
私は父から料理を学び、父の味を吸収してきました。そのときにひとつの小さな自信となったものは、私は生まれたときから父の味を日にして育ってきたのだから、私の舌が父の味を知っているんだということです。でもいくら父の味を知っていても、私が父の味を作るのは、なかなかむずかしいことですし、決して手抜きは許されません。
より本来の味へ近づく日本の中国料理
そうして四川料理本来の味を守っていくことが、私の大きな仕事です。もちろん、かつては手に入らなかつた材料が今は何でも手に入りますから、父たちが日本の素材を工夫して作ってきた料理を中国と同じ材料を使って作れるようになりました。ということは、四川料理自体も、少しずつ変化しているわけです。でもそれは、より中国に近いもの、四川省に近いものへの変化といえるのではないでしょうか。
豆辮醤がなかったから、日本で作り始めてそれを長く使ってきたわけですが、今では郭県の豆辮醤が輸入されています。糟蛋だってそうですし、他の醤類や漬けもの類も、今では、欲しいと思うもののほとんどを手に入れることができます。材料面からみたら、どんどん中国に近づいているのです。ですから四川料理もより四川省の料理に近づいているといっていいでしょう。
この3〜4年とくにその傾向がみられますから、私が中国料理を学んできたこの9年間というものは、そのすべてを自分の中に蓄積するための時代だったと思います。私個人ということでいえば、今までそうして積み重ねてきた私の四川料理に、これからどんどん肉づけしていきたいというのが、正直な気持ちです。
もちろん四川料理の源流として、その流れを守りながら、もつと流れを大きく激しくしていくことになると思います。
もうひとつは、店の経営に関わるものとして、どんどん人を育てていきたいという希望もあります。私は真剣にやれば、5〜6年で中国料理の料理人として、一人前になれると思います。ですから調理場で、どんどんそういう若い人たちが仕事をできるような環境作りをしていきたい。その人たちが一人前になることによって、四川料理の流れというのは大きくなるはずですから……。
私はまだ30歳です。30歳になって、新しいスタートラインにたっているような気がして、気力も体力も充実しています。やっと自分自身に自信を持てる時期が来たようで、あらためて、中国料理を、四川料理を見つめ直し、新たに取り組んでいきたいというような気がしています。
料理人は客を満足させる料理を作るのが仕事です。客を満足させるにはどうしたらいいかと考えると、中国料理の場合、予約の宴会料理と、フリー客の一品料理とわけて考える必要があると思います。宴会料理の場合は、客の要望、好みなどを知ったうえで調理することが大切ですし、一品料理の場合は、味を一定に保つことが大きなポイントです。そういうことすべてが、ごく当り前にできるようになりたいと思っています。
それにはホール(サービス)との連携をうまくすること、調理場のスタッフを充実させることが必要で、もちろん今でもそれはうまくいっているのですが、もっともっと上をめざしたいという気持ちです。
陳 建民というのは、確かに私の父ではありますが、こと料理に関していえば、私にとって神様のような存在でもあり、師匠であり、また大先輩でもあります。そうした存在が身近にいることのありがたさを感じながら、私なりに料理に取り組みたいと思います。