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INTERVIEW

1985年 「月刊専門料理7月号」 日本料理の20年より

緊張感を持って京料理を広めてきた

村田元治氏(菊乃井 2代目主人)
 
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辻重光さんが生きていらっしゃったらなぁ

 専門料理が20周年を迎えられるということですが、それにつけても辻重光さんが生きていらっしゃったらなぁと思います。辻さんは、京都の料理界にとって、本当に大きな存在でしたから。自分の損得を度外視して、料理人や料理界全体のために骨身を惜まず働いてくれました。経営のことよりも、包丁を握ることが好きで、全国をあちこち、料理を教えに回っておられたし、そういう意味では、大きな目で、日本の料理界を見ていた方でしたね。
 その辻さんの呼びかけで、柴田日本料理研鑽会が始まったわけですから、我々も、それぞれに、京都の料理として恥かしくないものをと自負を持って参加していったわけです。それまでにも、京都には、京料理研究会があり、料理屋の主人が職人さんを招いて、月に一回、料理を学ぶ会をやっていました。辻さんの肝入りでともすれば帳場に座っている主人が包丁を握る勉強をしようという会で、これは、会員の変動はありましたけど、現在も続いています。研鑽会を始める気運は、京都の料理界にも充分あったわけです。
 それまでは、プロの料理人に対する本はなかったですし、我々が間違うてしゃべったら、そのまま全国ヘ伝わり、受け入れられるから、ええかげんなことは言えないという緊張感がありましたね。だから素材ひとつにしても、作り方にしても、随分勉強しましたし、準備もしていきました。
 つい最近でも、地方の高級旅館に泊ったりしますと、あれっこれはあの時の我々のした仕事やというのに出会うことがあります。どこへ行っても同じというのはおもしろくないけれど、京料理というのは、それだけ受けが良かったんと違いますか。公家社会の洗練された文化に育てられた京料理は、やはり高度な面を持っていたし、高尚なもの、ぜいたくなものを求め始めていた時代の流れに、ちょうど合うてたんやと思います。戦争直後は中国料理が盛んでしたし、それから西洋料理、さらに現代は、フランス料理に移ってきてることを見ても、京料理の繊細な味と形は、ぴったりだったんでしょう。

新進の気質が伝統を維持し発展させる

 我々は技術的な面に目を向けてきたけれど、それはもう多方面から研究しつくされて、頂点にきているようですね。だから最近の傾向は、器とか調度に変ってきて、すばらしいものが作られ、使われるようになってきました。お金もかかりますし、高度経済成長以来、景気が低迷しても人件費はそのままですから。料理屋も乱立してきて、サービスも木目細かにやらねばならない、利潤は上らず、経営もむずかしくなってきています。
 その中で、ひとつのブームになっているのがお弁当です。これは20年ももっと以前に、一見さんを入れないような昔のままの形態をとっていたら料理屋は行き詰まる、若い人にまず料理屋を知ってもらおうと、PRのために、料理屋の主人たちが相談して始めたものです。空いている昼間に、それぞれの店の持ち味を工夫して、中村楼では田楽箱を使い、うちではミニ懐石風にというように趣向をこらしました。辻さんもそういう仕掛人であったわけです。同業者同志の競争ということはあまりなくて、京都の料理界全体で良くなっていこうという考え方ですね。
 辻さんを中心とする京料理をふり返ってみると、伝統を受け継ぐ者たちの進取の気質があって、初めてそれが維持できるし、発展させていけるのだとつくづく感じます。