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INTERVIEW

月刊専門料理 1987年10月号「今月の顔」

素材のおいしさを引き出すのが料理人

小山裕久氏(青柳 主人)
 
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 私の店の調理場には三十数年、女将である私の母の下に、ひとりの料理長がいまして、いわば青柳の料理のスタイルを作ってきていたわけです。私が大阪での修業を終えて調理場に入るようになってから、料理観の違いや店の方向性など意見のくい違いもあって、結局その料理長と訣別することになったのです。残るは調理場に私ひとり、という状況に追い込まれました。今なら他人がそんなことをすると相談に来たら止めたほうがいい、と押し留めるでしょうが、その時はたとえ自分一人しか調理場に残らなくてもいい、と決意したのです。自分のそれまで歩んできた経験から、どんな大変なことでも、自分の気力と体力を持ってすれば何でも成し遂げられるはずだ、と思ったのですね、その時は。それからは朝六時から深夜の二時ごろまで、ほとんど調理場から離れずに仕事をし続けました。いい材料を使って、できる限りの仕事をする。その毎日の努力が実を結んでか、少しずつお客さんが戻ってきてくれました。
 もっと苦しかったのは駅前のデパートに支店を出した時のことです。スタッフも今ほど育っていませんでしたので満足できる仕事がなかなかできない。お金をいただいた以上、言い訳はできませんので、材料を厳選することなどで何とか乗り切ることができました。
 こうしていろんなことが順調に動き始めたころですね、自分の作っている料理は一番なんだ、旨いんだという気持で調理場に立つようになったのは。それは、旨いから食べてみろというような不遜な気持ではなく、この料理はこれしかない、これが最高の方法なんだという気持で料理を作っていた、ということです。しかし今ひとつお客さんの反応がない、自分はできる限り努力しているのに…。この時期にふっと気づいたことがあるんです。それは、自分が何から何までやって、すべて一人でお客さんを魅きつけていると思っていたけど、実は古くからのご贔員とか、いろんな人の支えがあって今があるのだ、ということです。自分が中興の祖だくらいに気負ってやってきたので、そんな当り前のことが見えてなかったんですね。
 そう思った時、ああそうか、と肩の力がふっと抜けるような感じになりました。これまでは何とかおいしくしようと力んで、そんな力の入った、これでもかというような料理ばかりを並べていたような気がしてきたのです。そのような料理は、食べた瞬間はおいしいのですが、余韻が残らないんですね。その時からですね、材料の持つおいしさを引き出す手伝いをするのが料理人なんだ、無理やりに材料に旨味をつけるんじゃなく、手を差しのべながら一緒に走る、それこそが料理なんだ、と思い始めたのは。そこで結果的にはひかえめな味付けの料理を心がけるようになりました。そのためには、どれだけ下味をしっかり決めておくか、ということが大切になってくるんですね。薄く味付けして、しかもボケない味。そんな料理をめざして作るようになりました。

徳島ならではの味を求めてお客が訪れる料理屋をめざす

 考えてみると一人だけで調理場に立ってた時は、何もかもはできませんから、ギリギリに削った仕事をしていて、それなりにザングリとした料理だったんですね。ところがスタッフも増え、育ってくると、これでもか、これでもかという仕事をするようになる。もっとさりげなく、料理をすべて食べ終った時に〝おいしかったな〟という感想が残ればいい、そのほうが余韻が残っていいんだ。そう考えると何かすごく楽になって、毎日の仕事もとても楽しくなってきたのです。それまでは苦しみましたからね、どうしたらお客さんをうならせ、満足させる料理ができるのか、と。
 結局、自分にとってのおいしい料理を作ろうとしていたんですね。そうではない、お客さんにおいしいと思っていただける料理を作らねばならない、ということに気づいたわけです。そんなこと、口では毎日のようにスタッフに言っていたことなのですが、深い部分で分かってなかったんだと思います。そう考えるようになって、もう一度素材と向き合ってみよう、料理の勉強をし直そう、今までやってきたことを、もっと深いところからとらえ直してみよう、そんな気持になってきたのです。
 大阪という土地で料理人の修業をした私ですが、ここ徳島には大阪で手に入る以上の質の素材が即座に手に入ります。徳島にいるからこそこの鳴門の鯛が手に入る。ボウゼも、小よこも、鱧も、すばらしい質のものが手に入る。これを大阪で手に入れようと思ったなら、きっと高額なお金が必要となるでしょう。このように恵まれた徳島という土地で、この素材に囲まれて仕事ができる幸福を感じています。今の私の料理は、徳島を離れては考えられない料理だと思っています。ただ、こうした素材の質は、地元の人間ならよく知っているだけに、地元の人に満足してもらえる料理というのは難しいと思っています。できれば、日本全国の人が私どもの店に海の幸、山の幸を食べに来る、そんな全国区の料理屋をめざしていきたい、そう思っています。ただ、広いお座敷で料理を食べるという日本料理屋、料亭の未来を考えると、今の形が必ずしもベストとも思えません。私たちの世代が今こそ、これからの料理屋のあり方を考えていかないと、足元が危うくなるのではないか。そんな視点から自分の店もとらえなおしていかなければ、と思っています。