ケーキは生きもの。だから鮮度にこだわる
横溝春雄氏のつくるケーキの特徴といえば、やはり卓越したフレッシュ感だろう。春の白桃、夏のオレンジ、秋のクリや紅玉リンゴ…。季節はおろか、ほんの数ヵ月で素材や品揃えがガラリと変わる。旬の風味を大切にしたいから、つくり置きはしない。ケーキの旬年表を見るような品揃えには、いつも新作のような新鮮さが漂う。
そうした一見シンプルで素朴なケーキと、ウイーンの「デメル」で修業した経歴とは、結びつきにくいかもしれない。(中略)
だが、こうした親しみやすいケーキの裏には、実は、きっちりウイーン菓子の技法が生かされている。ウイーン菓子という枠にとらわれず、自分の求める菓子に合わせて技術を自在にアレンジしていることが、横溝氏の菓子のもうひとつの特徴である。
「講習会などに講師として出かけると、よくこれは違う素材にしてもいいんですか、こんなことはしてもいいんでしょうかなどと、質問を受けます。僕は、自分でおいしいと感じる菓子をつくることが一番大事だと思います。まず、菓子の魅力を自分なりにとらえることです。それに加えて、僕が独立する際にして、他に負けない武器をと思ったのが鮮度、フレッシュ感でした」
パン屋に生まれた横溝氏は、小さな頃から両親の働く姿を見て、ものをつくる仕事に憧れ、自然に菓子屋をめざした。「1日でも早く入った方が先輩なのだから、早く修業に入った方がいい」という、先に菓子業界に入った兄のすすめから、高校卒業後、東京・神田の老舗「エス・ワイル」へ入り、5年半勤める。
洗いものに配達、そして、賄い料理をつくることからスタート。賄い料理は、決められた金額の中から、朝、昼、晩のみそ汁の具を変えて、具の切り方から考えてつくる。大変だったが、この経験から後にヨーロッパでも、難なく自炊できたという。
「若い時は叱られやすい分、覚えることも多い。その意味で早く入ってよかったと思います。ひと通り仕事を覚えるのなら3年でもいいですが、トラブルに臨機応変に対処するには5年必要だと思う」
この後、横溝氏は、スイスのカフェ・クランツラーで1年間学ぶ。エス・ワイルの大谷長吉社長が横浜のホテルニューグランドで仕事をともにし、師と仰ぐサリー・ワイル氏からの紹介からだった。ワイル氏は、スイス・フランス菓子の技術を日本に普及させたことで知られる。次に、ベルリンのホテル・ケンピンスキへ。スイス時代は皆によくしてもらって順調だったという横溝氏も、ベルリンでは壁にぶつかった。
見習いに変わりつつデニッシュペストリーをつくっていたが、なぜか生地が切れたり、油っぽい。水を減らせばいいという見習いの指導だったが、実は、これは見習いの勘違いだったのである。気づかぬまま、毎日失敗は続き、焦りは募った。
「そんなある日、いつもはネクタイ姿の親方(総シェフ)が、白衣に着替えて『やってみろ』と、自ら指導してくれたんです。心配して見ていてくれたんですね。こんな固い生地ではだめだ、水を増やし、よくコシを出せと。そうしたら、きれいに仕上がった」
上下関係の厳しかった日本では、考えられなかった経験。目からうろこが落ちる思いだった。横溝氏はこの時、日本に帰ったら、こんな風に後輩に指導したいと思ったという。
横溝氏はこの後、ジュネーヴのホテル・ベルグを経て、横溝氏の代表的経験となるウイーンの老舗「デメル」に入る。(中略)
横溝氏が外国で驚いたのは、あたかも日本における和菓子のように、古いものが大切にされた本場の菓子の姿だった。日本では新しく、ひねった菓子が重宝がられる傾向にあったが、実際の現地の菓子は基礎的なオーソドックスなものだった。パイもマドレーヌも、配合がシンプルで覚えやすい。横溝氏は、まず基礎を確実にすることが大切であり、その上で自分が納得がいく形にすればよいと知った。
風土と素材の違いを肌で感じたことも、菓子を考える上で勉強になったという。たとえば、スイスの市場で見たニンジンケーキ。現地のニンジンは、そのままポリポリかじれるほど甘く、菓子に使われる理由がよく分かるものだった。本来の素材の味を知ることが、日本の素材ではどうアレンジしたらいいかを考える契機となったという。本場のザッハトルテも、風土と歴史がしのばれる濃厚な風味だった。これを日本人向けに、どうアレンジするか。
日本人の嗜好に合わせ、配合はそのままで食感を軽くした「ザッハトルテ」をはじめ、横溝流菓子はこうして生まれていくのである。
「修業時代は、ある意味で頭をからっぽにして、謙虚に学ぶことが大切だと思います。いやだなあと思う気持ちは、相手の心に伝わるもの。どんな相手にも吸収できる部分をみつけて接する。不安な時、一生懸命やっていれば、かならず誰かが引き上げてくれると、先輩にアドバイスを受けましたが、まさにその通りだと思います」
素材の仕入れ先には、できるだけ近くの産地のものをとお願いするんです
5年間のヨーロッパ修業を終えて帰国した横溝氏は、渋谷の「グリユースゴット」などに参加。そして、新宿中村屋の新しいケーキシェフに迎えられ、ウイーン菓子「グロリエッテ」のシェフとして、11年間腕をふるう。その間に真弓夫人と知り合い、このままずっと中村屋に残るか、一からやり直して独立するか、しばらく悩んだ。その結果、夫人の後押しもあり、住んでいた新百合ケ丘に出店を決意する。
「僕は、よきパートナーをみつけることも、菓子屋として大事だと思うんです。いくらおいしいケーキをつくっていても、雰囲気でだいなしにすることもある。お客の90%は女性なんですから」
夫人と話し合って決めたコンセプトは実にユニークだ。めざしたのは、パッと見て菓子屋だと分からないつくり、でも何か入りたくなる雰囲気のある店。都心にありがちな宝石店のような店構えではなく、ナチュラルなイメージである。そしてできたのが、付近に建物のない住宅予定地にポツンと建つ、大屋根の店舗。
「冷やかしでなく、100%うちの店を目的に来たと思えるお客さまに、素直にいらっしゃいませと言える店をつくりたかった」
建物をわざと通りから引っ込ませたのは、そんな思いから。
「本当なら木立ちに隠れて、っていうのが理想だったくらいなんです」
と、真弓夫人は笑う。花をいっぱい飾った店舗を見て、花屋だと勘違いしたお客もいたとか。
商圏の広がりを考えて、駐車スペースをふんだんに儲けたのも特徴。地域のお客に親しまれる店をめざし、また、ギフト用にしっかり焼き菓子が売れる雰囲気をつくりたいと、外から厨房が見え、オーヴンから焼き立ての菓子の香りが漂ってくるような店にした。(中略)
お客を惹きつける横溝氏の菓子の大きな魅力、フレッシュ感は、独立の際に、自分が何をおいしいと思うかを考え、他店に負けない菓子をつくるにはどうすべきかを考えた結果だという。素材の品質にこだわる店はたくさんある。技術で一番と謳うのは、思い上がりにすぎない。が、鮮度なら勝負できるのではないかと、横溝氏は考えた。(中略)
また、いくら旬と鮮度に気を配って仕入れても、早く使わなければなんにもならない。だから、素材はできるだけ早く消費する。レモンひとつとっても、無農薬のもぎたてのものは、香りがすばらしいだけに、それが飛んでいくのも如実に分かるという。
横溝氏はケーキの香りにもこだわるが、それも特にここ数年、こうしたいい素材を手にしてからだとか。
「たとえば、おいしいモモに人工的なモモのリキュールをかけたいとは思わないでしょう。僕は質のいいシャンパンの風味をそっと添えます。紅茶にしても、フランスのマリアージュ・フレールの香り高いものに、わざわざ紅茶のリキュールを加えたいとは思わない。ケーキに仕立てる場合も同じこと。香りは瞬間のものです。その意味では、ケーキも生きものなんです」
さらに、横溝氏は近年、仕入れ先をできるだけ近県にするよう努力しはじめた。そこには、鮮度を求める情熱はもちろん、その地域で獲れるものを使い、地域に溶け込んだ店でありたいという、横溝氏の願いも込められている。
「たくさん使うイチゴなどは、近くの果物店に発注します。できるだけ農薬の少ないものを、とこちらから指定しますが、その他に、できるだけ近くの産地をとお願いするんです。同じ神奈川県内で食材を揃えられれば、というのが僕の夢です」
そんな素材を使ってフレッシュで心和む菓子をつくり、地域の灯火になるような店でありたい。店名のリリエンベルグ。それは、ドイツ語で「百合ケ丘」を意味している。
※横溝氏のスペシャリテである「ザッハトルテ」は、café-sweets vol.148(2013年6月発行)で、「名店のロングセラーケーキ」として紹介している。→ http://www.shibatashoten.co.jp (柴田書店)