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INTERVIEW

1985年 専門料理12月号 「今月の顔」より

基礎的な技術と豊かな知識が必要だ

原田 治氏(元四川飯店総料理長)
 
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切ることの大切さを改めて考えたい

 中国料理に使う包丁は、菜刀(ツァイ・ダオ)というけれど、基本的には一つの形で、刃の厚さが何種類かある。だいたい薄刃と厚刃の二本があれば、何でも切れるわけ。
 調理場の花形というとどうして″鍋″に目が行ってしまいがちだが、料理というのは素材をきちんと切ることで、7-8割ができあがって、下味付けが終わったら9割がた仕上がったと考えるべきではないだろうか。つまり″切る″ということは、それだけ重要なことなんだ。でもそのあたりの認識が一般的に見ると少々足りないんじゃないかと感じられてならない。
 薄刃と厚刃の二本の包丁を使って、素材をその料理に合った一番いい状態に切るということをもっと大切に考えてもらいたいわけ。たとえば、青椒牛肉絲(ピ‐マンと牛肉の細切り炒め)を作るとする。ピーマンと牛肉とタケノコを絲に切るわけだけれど、まず第一にそれぞれの素材、たとえばピーマンはすべて同じ細さであることが必要。絲切りの技術というのは、ひとつの素材を同じ細さに切り揃えるという点にあるんだからね。次に3つの素材の細さのバランス。牛肉を絲切りにする場合に最近は冷凍肉をそのまま切ることも多いけれど、この場合にとけてくると材料が2-3割やせてくる。細くなっちゃうんだよね。だからその材料の変化を知っておかないと他の素材とのバランスが悪くなる。このバランスが悪いと、仕上がった料理の中で、炒めすぎのものがあったり、炒め足りないものがあったりと、最上の仕上がりは望めないわけだね。
 切る技術というのは、ひとつの素材を同じ状態に切ることに加えて、ひとつの料理のいくつかの素材をバランスよく切るということまで含みこんだ技術だということを忘れないでもらいたい。
 調理場のいわゆる″板″担当というのは、それだけむずかしい技術と知識を必要とするセクションなんだよね。その上で、鍋をふる人間は、切った素材がいい状態かどうかを見きわめる目を持っていることが要求される。素材によって油通しの時間、炒める時間等は鍋をふる人間にまかされているわけだから……もちろん味付けはいうまでもないけれど。
 だから一見単純に見える料理でも、ベストのものを作り出すためには、いくつもの要素があって、そのどれかひとつが欠けるだけでもだめなんだということをもう一度頭にたたきこんで欲しいと思う。
 どんなにむずかしい料理でも、基礎の積み重ねの上にできあがるものだからね。
 基礎の積み重ねといったけれど、そのおおもとに素材がある。切るにしてもその素材を知らないと正しい切り方はできない、おいしい料理はできない……。その素材に関する探究心から「中国料理素材事典」(柴田書店刊)ができあがったんだけれど、ここで今″切る〃ということを改めて、見直してみたいと思っている。
 切るということは、四川料理に限らず、中国料理すべてに共通する基礎技術だからね。(昭和六十一年度中国料理基礎技術講座で、原田治氏による切り方の技術を連載します)

中国料理は古くて新しい料理

 日本の四川料理というのは、陳・黄両氏が作りあげたもので、材料や調味料の面では当初ずい分制約があっただろうと思う。ところが今は、郫県の豆瓣醬とか、糟蛋とか、我々が話だけ聞いていて手に入らなかったものや中国へ旅行したときに見るだけだったものがどんどん手に入るようになってきている。となると我々の料理も少しずつ変化して来るのは当然だろう。これまで使っていた豆辮醤に慣れている私の味覚、客の味覚に郫県の豆瓣醬をどう使ったら、今まで以上の料理ができるかということを考えなくてはいけない。さらに今まで入手できなかったものが手に入るようになったら、それをどう使うかを中国の文献にあたると同時に、日本の四川料理にどう使えばいいかを考えなくてはいけない。
 メニューバラエティを増やすというのは、創作力が必要な画もあるけれども、古い料理を見つけ出すとか、これまで使っていなかった素材や調味料を拾い出すとか、地道な作業が必要な面がたくさんあって……中国料理というのは、無限大に広がる可能性を持った古くて新しい料理だと思う。知らないことがまだまだたくさんあるだろうという気もするし、中国国内で最近、新しい料理書や素材に関する本が次々と出版されているから、勉強も続けられるだろう。
 そういう状況の中で、これからの日本の四川料理、中国料理というものは、少しずつ変化していくだろうし、変わっていかなくちゃいけないと思っている。これは私自身にとってのこれからの課題というか……基礎を改めて見つめ直すと同時にやっていかなくてはいけないことだろうという意味で……。
 かつて中国語の辞書を片手に一から勉強したことが、今の自分にとって、どれほどの財産になっているかというのは、計り知れないとつくづく感じる。だから、今の調理場では、材料名と調理法と料理名くらいしか中国語を必要とすることはないかもしれないけれど、中国料理を勉強していく上で、中国語が必要になるときがきっとあるということをわかってもらいたいと思う。
 基礎的な技術をしっかり身につけた上に、豊かな知識があってこそ、本当の中国料理を作ることができるはずだと……これは自信を持っていうことができる。