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INTERVIEW

「月刊専門料理」1985年4月号 「若き料理人に送る言葉」より

現代型の修業法を見つけなさい

上野修三氏(浪速割烹き川)
 
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同じ作るなら人より優れたものを

──「自分のやっている浪速の料理を味の面でも技術的にももっと深めていきたい。先輩から習ってきたものに、よりよきものを付け加えて後輩に伝え残していくことが自分の役目」と上野氏はあくまでも浪速の味にこだわっていく。

 20代前後というのは無我夢中でひとつのことに没頭できる時だから、精いっぱいきばって欲しいな。私自身もむきものに凝って、何を見てもこれむきものにできへんかなと思って、 刺身包丁ひとつで作っては展示会に出したり、図解してむきもの帳を作って季刊誌に連載したりしてたね。そのうちに無駄な切れっ端が出ないやり方や、素材の形に合わせたものを工夫するようになって、 初めて料理っておもしろいもんやと思いましてね。形にこだわり過ぎると崩れない煮方をしようとして味が二番手になるのが嫌で、今はもうあまりしないけれど。夢中になってる時は、 次々と考えが広がってやりがいが出るし、充実感もあるし、必ず形を変えて、仕事に生きると思うのでさらっと通りすぎないことやね。
 子供のころから工夫するのは好きでしてね。親父が炭焼きで、よく手伝わされてたけど、自分用の小型の窯を作っていい炭を焼こうと工夫したね。同じ作るなら人より優れたものを作りたい。 技術だって法則だって、みんな人間が作ってきたんだから。もっといいものができるはずやといつもそう思っていました。
 でも私は、手先は器用だったけど“鈍くさい”ってしかられてばっかりでね。一時期やる気がなかったから気が回らない、またしかられた、嫌になる、その悪循環。この世界では、 先輩に言われてからやるのではもう遅くて、その前に何を考えているのか顔色を読みとって、先に身体が動いていないとあきまへんな。それで手順や仕事を覚えていくんですね。

もう頭の中は仕事だけ

 扶養家族も多かったから、比較的早い時期に一人仕事に出ました。結婚式場の宴会を任された時代には、二日間寝ないということがざらで、歩きながら眠っていたのか、柳の並木にぶつかったり、 部屋の障子を開けたとたんに、コートのままバタンと朝まで寝てしまうなんてことがありましたよ。それというのも付出しに既製品を使いたくなくて、全部自分でやりたいから。もう頭の中は仕事だけ。 親父が大安の日に死んだんですけど、えらい時に死んでくれたなぁと思ったくらいだもの。今の若い人たちが、青春だから仕事だけではつまらないって聞くともったいなくてね。青春だからこそ、 無駄に遊ばないで、有意義に送ってほしい。苦労という言葉は好きじゃないけど、そういう切迫感のある場がないことはむしろかわいそうやね。だから自分で現代型の修業を見つけださないといけない。 これなら手が出せるという直接目標を早く作って、これだけは誰よりも上手くなろうとする気でやらないと。修業期間も短いしアイデアを実現していく創作力もどんどん求められる時代だから。
 大阪は素材に恵まれた土地だから探っていくと大阪独特の料理の方法論があるんです。どけち精神は無駄のない合理的な素材の使い方につながるし、それらをもっと研究して後に伝えていきたいですな。 ひょっとしたら日本料理の原点かもしれないこの浪速の味を、次の世代の若い人たちにも守って育ててもらいたいと思ってるんです。