経営とは結局、効率との戦いだ
忠告は欲しいが命令はいらん
──今日は藤田社長とマクドナルドの提携の経緯というところからお話しいただけますか。
私の藤田商店にシカゴ店がありまして、その支店長がユダヤ人でマクドナルドに友だちを多く持っていたわけです。そいつが「ミスター藤田、ハンバーガーのマクドナルドをやってみないか」と言って来たわけです。私も本業の方がメチャクチャに忙しかったですし、とてもマクドナルドみたいなものをやっている時間がないと断った。そうしたら、もう辞めましたけれどマクドナルドの当時の副社長、スチーム・バーンズさんが来日して「それじゃマクドナルドを日本でやる人を紹介してくれ」というのです。
で、私も大手の商社やらなにやらずい分友だちを紹介したわけです。ところが副社長が会って帰って来てダメだというんですね。20人くらいの重役を前にして2時間マクドナルドについて講釈するのだが、そのうち半分は寝ているというんですね。それで説明を終えると大学出たてのひよっ子みたいな若い男が出て来て、「私が担当でやります」と、そう言うんですって。デシジョンメーカーではない、つまり決める権限を何も持っていない人間が担当になっても絶対失敗する、と。とても手を組んでやれないというわけです。
そうこうしているうちに2年が経ちましてね。たまたまシカゴに行ったら、また会いたい、と言われましてね。会いに行きましたら「お前がやれ」というのです。私はとてもできない。やれる人間を紹介する、と断りましたら、われわれ、つまりアメリカのマクドナルドと直接交渉できて、ある程度金を持っていて、ある程度学歴があって、40歳前後で、自分で仕事を持っていて、遊んでいられて、英語がわかって、身体強壮で、自分で決定権を持っている。そういう人間でなければ交渉相手にはならない、というわけです。
──それは誰であろう、藤田社長だ、ということですね。
いや、ぼくは断り続けたんだ。それでいろいろと条件を出せばあきらめると思って、出したわけです。
まず、出資比率は50対50対であること。社長は日本人がやってアメリカ人は経営にいっさい口を出さない、ということ。儲けをアメリカに持って帰らずに、いくら儲かってもすべて日本に再投資すること。経営権、人事権はいっさいぼくに帰属すること。ノウハウはすべて提供してもらう。エンジニアリングや経理の専門家のアドバイスは欲しい。しかしオーダー、つまり命令はいっさいしてもらっては困る。こう条件を出したわけです。これでアメリカは断るとぼくは思ったんだ。こんな条件だされたら、ほかの相手を見つけたほうがいい、となりますね。
そしたら、創業者で当時社長のレイ・クロックさんが会いたいと言って来てね。会ったら「お前がそう言うのならばそれでやろうじゃないか」と言ったわけです。その時のことで今でも鮮明に憶えているのですが、クロックさん手をパッと広げてね、彼、若い頃工場で働いていて薬指1本失っているのですが、「お前の手を見せてみろ」と言うわけです。彼の前に広げてみせると、「お前は全部揃っている。オレはこの1本がないから少し店数の出し方が遅れたけれども、お前はおれよりも早くできるはずだ」と。そして「お前の条件の出し方が気に入った。ほんとうに責任をひっかぶって自分でやろうとすれば、当然お前の出した条件を出さないわけにはいかないだろう」と言ったのです。
当時マクドナルドはすでに1700店ありまして、クロックさん自身お金は十分持っているわけです。お金儲けをするよりも、たくさんの人を育ててビジネスそのものを大きくしたいわけです。松下幸之助さんです。彼のそういう見方からすると、私は合格したんでしょうな。
ビジネス競争は効率のいい方が生き残る
──マクドナルドをやることが決まって藤田社長がまずしたことは何だったのですか。
まず、今までの自分の仕事はすべて人に任せて、私の時間の99%をマクドナルドに使おうと決意したことです。それから、ビジネスは人ですから、会社ができる前に東京の御茶ノ水にハンバーガー大学を作りました。会社を作ったのは昭和46年の5月ですけれども、その年の2月にはハンバーガー大学を開校しているんです。
──銀座のまん中に第1号店を出しましたね。アメリカの立地セオリーからは、これは大きくはずれていると思うのですが。
要するに日本の輸入文化はすべて東京からはじまっているのです。ケンタッキーフライドチキンは名古屋の郊外からはじめましたが間違っておるんですよ。東京の中心は銀座ですから、当然銀座からはじめました。
──アメリカのマクドナルドから反対はなかったのですか。
ありました。でも1号店が大成功しましたから、それからは立地については何も言わなくなりましたね。それから文化というものは上から下に行くものなのです。下から上にはいきません。昔も舶来文化というものは、中国や韓国の文化が奈良時代には奈良の都市に、それ以降はまず京都に入って来たでしょう。明治以降の頂点は東京ですからね。舶来文化はまず東京で売らなければいけません。長崎や岡山からやるというのは間違っているのです。(中略)
──チェーン展開がほんとにスムーズにいって、困難な局面が全然なかったみたいですね。
困難といえばいつでも困難でした。でも、苦しい節目はなかったか、とよく質問されるのですが、そういうものはありませんでしたね。ただ100店までは一刻も早く持っていこうと考えていました。どんなものでも100店にならなければメリットがありません。100店になってはじめて、仕入でも何でも安くなる。結局、100店は4年かかって昭和50年に達成したのですけれども、その間は息を抜くということがありませんでした。(中略)
──今やサバブではファミリーレストランを追い出しかねない勢いで出店している。
もう町の中心部のインストア店というものは、ほとんど作っていません。90%はドライブスルーです。昔は地方都市に出店する場合、まず駅前に出店して知名度を上げて、それから郊外店を出していく、というパターンを取っていたのですけれど、最近はいきなり郊外にドライブスルー店を出してもドーンと月商3000万円ぐらいいっちゃうのです。これはTVコマーシャルなどでマクドナルドのブランドが全国に浸透してきているからだと思います。だから高い家賃を払ってインストアなんかやる必要はないんです。郊外に出せば、お客を集める下地ができているわけです。
ファミリーレストランとファストフードの戦いとよく言われますが、マクドナルドが郊外でこれだけ売れて店を展開できているのも、求められるサービスの質が変わってきているからじゃないでしょうか。
百何十品目を持っていることが果たしてサービスなのか。うちのように13品目の商品しかなくても、安くてうまくて早く出すことがサービスなのか、ということですね。モータリゼーションの進行というのは、人々が忙しくなっているということです。ゆっくりしている暇もない。だから1日のうち1回か2回かはファストフードを食べなければ、時間が足らないのです。どっちが現在の時代に合ったサービスか、といえばもうはっきりしていることでしょ。
もうひとつは、これは生存競争だということです。ビジネスの生存競争では、効率のよい方が生き残るのです。ファミリーレストランへのニーズが郊外にあることは認めます。が、効率ではファストフードには太刀打ちできっこない。結局どっちがビジネスの効率が高いか、というところに帰結していくと思いますよ。
日本一効率の高いシステムに変える
──ということは、マクドナルドの中でも効率の悪い店は積極的にスクラップしていく、と。
ええ、どんどんやります。年間5店から10店は閉めています。要するに人材も効率的な使い方をしなければ、日本一高い月給を払っている会社ですから、日本一儲からなければ月給は払えませんからね。それはとりもなおさず日本一効率の高いシステムに常にマクドナルドを変えていかなければいかん、ということです。売上げの悪い店はどんどん閉めて、売上げのいいところに集結させていかなければなりません。(中略)
──昨年(1987年)はサンキューセールで一大センセーションを巻き起こしました。一昨年末既存店ベースで3%の売上げアップを狙うと、社長はおっしゃられていました。
結局4.2%を達成しました。会社全体では1割伸びて、利益が96億円を出しました。安く売ったのにたくさん売れたので利益も出たわけです。
サンキューセールはいろいろ形を変えて続けていくつもりですが、さらに価格を下げるつもりはないのです。価格をさらに下げることのメリットはないのですよ。
いい例が香港のマクドナルドです。あちらはハンバーガーひとつが65円です。日本の約3分の1です。それで日本は1店の1年平均客数が37万人ですが、香港は100万人です。やはり3倍ですね。日本でハンバーガーひとつを65円にしたら、やはり100万人のお客をとれるかもしれない。しかし3倍売るためには、今の厨房を大きくしなければならない。店で働く人間を3倍にしなければならない。今マクドナルドは1日5万人働いていますけれども、それを15万人にしたら3倍売れるか、というとなかなかそうはいかない。つまり売上げもあがるかもしれないけれども、膨大なコストもかかるということです。(中略)
──今の価格政策で今後も順調な展開ができる、と考えられるわけですね。
そうそう。100号店で100億円売った時にぼくは10年以内に1000億円は完全に達成できると思った。そして事実達成しました。でもマスコミは100億が1000億になるのはむずかしいと笑っていましたね。今ぼくが5000億円になると、そう言うと、笑いこそしませんが半信半疑です。
アメリカには3万人に1店の割合でマクドナルドがあるのですよ。それで7000店です。日本ではまだ20万人に1店しかありません。仮に3万人に1店の倍、6万人に1店を出したら、2000店できるのです。ぼくは西暦2000年に1200店はいくだろうと見ているのです。1200店で売上げは5000億円と、こう見ています。ごく短期的には2年後の1990年には、2000億円を達成しよう、と考えています。それから10年後に5000億円と。
ハンバーガーで育った世代が増えてきて、モータリゼーションがさらに進行して食生活に安さとスピードをさらに求める傾向が加速度的に強まっていく。ぼくのこの予測を妨げるような要因は何ひとつありません。