“観光地”だからこそ料理に力をいれる
貴船の夏は、貴船川に設けた川床の上での食事に涼を求めて来られるお客さんで賑わいます。ひと昔前までは、この夏の川床料理だけで一年分の商売をしてしまい、あとは冬眠しているようなもの、というような時代もあったようです。もちろん今の時代にそんなことでは困りますし、現に、夏とそれ以外の季節との差が縮まってきました。それでも京都の方は、貴船と聞けば夏、川床料理、というイメージを持っておられるようです。
この川床は、京の街中にある鴨川のものとは違って緑に囲まれた清流の上に設けられているものですから、お客さまには浴衣を着ていただいて、くつろいだ気持で夏の醍醐味を満喫していただいております。ですから料理を食べにこられた方は、まず部屋で着替えていただき、岩風呂に入っていただく。さっぱりとした気分で料理を味わっていただいているわけです。なかには宿泊なさりたいというお客さんもおられますが、料理を食べにこられた方にも部屋をお使いいただいておりますから、この時期はなかなか泊まる部屋が用意できなくてご迷惑をおかけしています。
この川床での料理は、場所がそれだけで涼味あふれる空間ですから、あまり趣向を凝らしたような料理をおだししても、かえって場にそぐわない、ということになりがちです。むしろ、ざっくりと素材を生かした料理のほうが、お客さんも喜んでいただけますし、川床という場にも映りが良いものです。
料理というものは、それを出す空間によって映り方が違ってくることは、言うまでもありません。たとえ座敷で素晴しく見える料理でも、外に出して川床の上に置くと映らないということはよくあるわけです。したがってあまりあれこれ手を加えた料理を考えるよりは「夏は川床で川もんを食べるに限る」という満足感をお客さんに持っていただくことができたら成功、ということになります。
地域全体のレベルアップが必要だ
こうした貴船の特色は、いわば観光地が持つ魅力に通じるわけですから、営業的にはとてもいいのですが、どうしても背景に力がそそがれて、料理そのものを味わうにはもうひとつ、という欠点がでてきがちになります。
ですから、夏だけでなく、それ以外の季節にも足を運んでいただくことを考えていかなければならないわけです。それには何よりも料理そのものに魅力を持たせる、ということが最もカナメということになると思います。観光地として栄えているのだから、と現在の状態に寄りかかっておりますと、ついつい料理にこれといった進歩がなく、時代に遅れ、マンネリに陥ってしまいがちです。
私は、貴船といってもそれぞれの店に個性があっていいし、またそれぞれの個性に合わせて、その店でなければ出せない料理を創り出していかなければ、これから先の貴船は行き詰ってしまう恐れがある、と思うのです。夏の風物詩としての川床を持っていることは大いに財産ではありますが、それだけに寄りかかっていては、時代の変化とともに取り残されることだって考えられるからです。
夏に貴船に行くと高い、というィメージもあるようです。どうしても最盛期が短いものですから、そのように見られているのかもしれません。もちろん決してシーズンだから、というような商売はやっていないのですが、それとても、そのように誤解される要素があるのなら、それを改めていかなければなりません。そのためにも、私たち若い世代のものが、そうしたことを改善していく主体となって、まず自己啓発から始めていかなければならないのでしょう。
それには、ひとっの店だけが、ぐんぐんレベルが上るというようなことより、貴船という土地全体の料理のレベル、サービスのレベルを上げていく、という努力が一番必要とされているのだろうと思います。
私が料理の道に入った時には両親が今の形をすでに完成させておりました。それは料理はもちろんのこと、サービスにいたるまで、すべてに整った世界が作られていました。そこに私がポッと入ったわけですから、見るもの間くもの、すべて当り前と思って勉強してきました。
しかし年がたつにつれ、私自身の経験も増え、また他の料理店の料理を勉強する機会があったりしますと、私なりにああもしたい、こうもしたいと思い悩むことも多くなりました。これまでのべてきたょうに、川床の料理には、それなりの型というものが求められますし、なかなか自分がやりたい仕事、納得のいく姿に持っていく、とぃうのは困難なことです。それでも、夏の盛りが過ぎた秋、冬、そして春には、私なりに表現したい料理を少しずつでもお出ししながら、お客さんの意見を聞いていく、ということを続けていきたいと思っています。今すぐに自分独自の境地を開けるなどとも思っていません。たとえ器を変えていくことからでも、何かが少しずつ変化していくはずだ、と思っているのです。
そうした努力を続けていくうちに、最近の「ひろや」の料理は少し変わってきたぞ、と言われるようになるように努力していきたいと思います。
そして「川床で料理が食べられるから貴船に行く」のではなくて「おいしい料理を食べたい、あそこなら川床もあるし」ということで私どもの店に来ていただけるような客を、一人でも多く増やしていけば、もっと落ち着いて料理を楽しんでいただけるのではないか、と思いますし、そう努力したいと思います。