TOP > あの時、あの人の名言一覧 名言一覧 塙 昭彦氏 イトーヨーカ堂常務取締役食品事業部長 何でも安く売ればいい時代は終わり 64年には、中華そうざいを主体とする冠生園という会社があったんです。そして、昨年の3月、そこを存続会社にし、豆腐工場を主体とするデイリーフーズが対等合併してIY FOODS(アイワイフーズ株式会社)という社名にしたんです。今年の4月には、新工場を作って、これから、企業としてどういうふうにしていこうかと考えているところです。… 松浦沖太氏 星岡茶寮 元料理長 当意即妙。魯山人と星岡茶寮の料理 私は岡山県の笠岡という町から一里ほど田舎に入ったところで生まれたのですが、伯母が笠岡で遊覧船や貸ボートなどを手広く営んでいまして、一六歳の時にその店の手伝いに入るのです。笠岡という町は瀬戸内海をひかえていますので結構、花界隈も発達していましてね。漁師も多いし良い魚も獲れるということで料理屋なんかも結構多かったのです。… 立川源次郎氏 あんこう料理 いせ源 主人 良心的な値段でおいしく堂々と繁盛する 「いせ源」は東京で唯一のあんこう料理専門店であり、天保元年創業。一六〇年の暖簾を守る名声店である。と同時に、茨城・水戸を本場とする浜料理的色彩の濃いあんこう鍋とは一線を画した、江戸、東京の味としての味を確立して今日に至る独自の歴史を誇る… ベルナール・ロワゾー氏 ラ・コート・ドール シェフ その素材が本来もつ味を食べてもらう ブルゴーニュ地方にあるソーリューという町の名は、戦前から戦後にかけてアレクサンドル・デュメーヌという優れた料理人によって、その名をフランス中に轟かせていた。デュメーヌは、改めて言うまでもなく、フェルナン・ポワン、そしてアンドレ・ピックと並んで、その才能の素晴らしさを高く評価された料理人である。彼が経営していたレストラン「コート・ドール」には世界中からグルメたちがやって来て、その味をほめたものである。… 西 健一郎氏 京味 主人 料理は限りない道を探求すること この間、「焚合せ」(柴田書店1984年発刊)という本を出しました。物を作って人さまに見ていただくということは大変なことです。本ができてからも「あれものせればよかった、これものせればよかった」と思うことがしばしばです。自分ではまだ不十分な面もありますが… ミッシェル・ゲラール氏 レ・プレ・エ・レ・スルス・ドゥジェニー シェフ 小鳥が歌うように自由な料理を生み出す フランス料理が新しく形を変えて行くことがなくなったのは今世紀初め(20世紀初め)のことです。いわゆる偉大なエスコフィエの法則の時代がやってきたためです。料理がある一定の法則にのっとってしか作られなくなり… 堀田喜久雄氏 竹むら 主人 同じものを変わらず出し続ける努力が必要 そば、鳥なべ、あんこう料理など、古き佳き東京の味を守る名店が軒を並べる神田・淡路町、須田町界隈。「竹むら」はその一角を占める老舗のひとつで、創業は昭和五年。当初からグレードの高い汁粉屋をめざし… 茂出木雅章氏 たいめいけん 主人 洋食は和洋折衷のむずかしさがおもしろい 創業は昭和六年。花柳界・新川の小体な洋食屋として頭角を現わした。二十三年に日本橋に移転。以後、名実共に東京を代表する洋食屋として高い評価を受けている。茂出木氏が「生涯現役」を貫いた初代・心護氏の跡を継いだのは… < 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 > 想像を超えた内面的な豊かさ ジャック〈アルザス〉オーナーシェフ ジェラール・バンヴァルト氏 技術以前に常識を身につけろ アピシウス 初代料理長 高橋徳男氏 昔のふぐは気楽な食べものでした ふぐ料理 にびき 主人 吉田徳太郎氏 基礎さえきちんとやっていれば通用する レディタン ザ・トトキ 店主 十時 亨氏 カナダの日本人として St-Charles C.C(カナダ) エグゼクティブシェフ 村上功志氏 僕の料理は東洋料理だ 南国酒家初代総料理長 富塚宏氏 味のコントラストを皿の上で表現 ヴィッサーニ(イタリア) シェフ ジャンフランコ・ヴィッサーニ氏 私らしい料理のメッセージ ポンテベッキオ オーナーシェフ 山根大助氏 サイトマップ|プライバシーポリシー|著作権について|お問い合わせ|広告・バナーについて
名言一覧 塙 昭彦氏 イトーヨーカ堂常務取締役食品事業部長 何でも安く売ればいい時代は終わり 64年には、中華そうざいを主体とする冠生園という会社があったんです。そして、昨年の3月、そこを存続会社にし、豆腐工場を主体とするデイリーフーズが対等合併してIY FOODS(アイワイフーズ株式会社)という社名にしたんです。今年の4月には、新工場を作って、これから、企業としてどういうふうにしていこうかと考えているところです。… 松浦沖太氏 星岡茶寮 元料理長 当意即妙。魯山人と星岡茶寮の料理 私は岡山県の笠岡という町から一里ほど田舎に入ったところで生まれたのですが、伯母が笠岡で遊覧船や貸ボートなどを手広く営んでいまして、一六歳の時にその店の手伝いに入るのです。笠岡という町は瀬戸内海をひかえていますので結構、花界隈も発達していましてね。漁師も多いし良い魚も獲れるということで料理屋なんかも結構多かったのです。… 立川源次郎氏 あんこう料理 いせ源 主人 良心的な値段でおいしく堂々と繁盛する 「いせ源」は東京で唯一のあんこう料理専門店であり、天保元年創業。一六〇年の暖簾を守る名声店である。と同時に、茨城・水戸を本場とする浜料理的色彩の濃いあんこう鍋とは一線を画した、江戸、東京の味としての味を確立して今日に至る独自の歴史を誇る… ベルナール・ロワゾー氏 ラ・コート・ドール シェフ その素材が本来もつ味を食べてもらう ブルゴーニュ地方にあるソーリューという町の名は、戦前から戦後にかけてアレクサンドル・デュメーヌという優れた料理人によって、その名をフランス中に轟かせていた。デュメーヌは、改めて言うまでもなく、フェルナン・ポワン、そしてアンドレ・ピックと並んで、その才能の素晴らしさを高く評価された料理人である。彼が経営していたレストラン「コート・ドール」には世界中からグルメたちがやって来て、その味をほめたものである。… 西 健一郎氏 京味 主人 料理は限りない道を探求すること この間、「焚合せ」(柴田書店1984年発刊)という本を出しました。物を作って人さまに見ていただくということは大変なことです。本ができてからも「あれものせればよかった、これものせればよかった」と思うことがしばしばです。自分ではまだ不十分な面もありますが… ミッシェル・ゲラール氏 レ・プレ・エ・レ・スルス・ドゥジェニー シェフ 小鳥が歌うように自由な料理を生み出す フランス料理が新しく形を変えて行くことがなくなったのは今世紀初め(20世紀初め)のことです。いわゆる偉大なエスコフィエの法則の時代がやってきたためです。料理がある一定の法則にのっとってしか作られなくなり… 堀田喜久雄氏 竹むら 主人 同じものを変わらず出し続ける努力が必要 そば、鳥なべ、あんこう料理など、古き佳き東京の味を守る名店が軒を並べる神田・淡路町、須田町界隈。「竹むら」はその一角を占める老舗のひとつで、創業は昭和五年。当初からグレードの高い汁粉屋をめざし… 茂出木雅章氏 たいめいけん 主人 洋食は和洋折衷のむずかしさがおもしろい 創業は昭和六年。花柳界・新川の小体な洋食屋として頭角を現わした。二十三年に日本橋に移転。以後、名実共に東京を代表する洋食屋として高い評価を受けている。茂出木氏が「生涯現役」を貫いた初代・心護氏の跡を継いだのは… < 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >
想像を超えた内面的な豊かさ ジャック〈アルザス〉オーナーシェフ ジェラール・バンヴァルト氏 技術以前に常識を身につけろ アピシウス 初代料理長 高橋徳男氏 昔のふぐは気楽な食べものでした ふぐ料理 にびき 主人 吉田徳太郎氏 基礎さえきちんとやっていれば通用する レディタン ザ・トトキ 店主 十時 亨氏 カナダの日本人として St-Charles C.C(カナダ) エグゼクティブシェフ 村上功志氏 僕の料理は東洋料理だ 南国酒家初代総料理長 富塚宏氏 味のコントラストを皿の上で表現 ヴィッサーニ(イタリア) シェフ ジャンフランコ・ヴィッサーニ氏 私らしい料理のメッセージ ポンテベッキオ オーナーシェフ 山根大助氏
何でも安く売ればいい時代は終わり
64年には、中華そうざいを主体とする冠生園という会社があったんです。そして、昨年の3月、そこを存続会社にし、豆腐工場を主体とするデイリーフーズが対等合併してIY FOODS(アイワイフーズ株式会社)という社名にしたんです。今年の4月には、新工場を作って、これから、企業としてどういうふうにしていこうかと考えているところです。…